沖縄での移住&開業。成功の秘訣はリサーチ力!【es, Group代表 上村コウイチさん】#1
沖縄県那覇市でヘアサロン「atelier[es]HAIRDESIGN」と「atelier[jill]HAIRDESIGN」を経営する上村コウイチさん。横浜出身&東京の人気エリアで腕を磨いた上村さんが、沖縄に移住して開業したのは2009年のこと。もうすぐ15年という節目を迎えます。
東京と沖縄という、まったく環境の異なる場所での独立開業とサロン経営は、どんなものだったのでしょうか。インタビュー前編では、上村さんが沖縄で開業した経緯と、開業当初の様子をお聞きします。
お話を伺ったのは…
es,Group代表/株式会社Braines代表 上村コウイチさん
神奈川県横浜市出身。渋谷国際文化理容美容専門学校卒業後、東京町田のサロンへ入社。横浜エリア4店舗をまとめるマネージャーを務める。東京吉祥寺、代官山のサロンを経て、沖縄県那覇市にて2009年4月「atelier[es]HAIRDESIGN」を立ち上げる。現在、ヘアサロン2店舗、デザイン会社「株式会社Braines」を経営。
突然の「独立」という選択肢で選んだ
沖縄という地でのゼロからのスタート
――独立前の経歴について、簡単に教えてください。
専門学校卒業後、東京都町田市にあるチェーン経営のサロンに入社し、横浜エリアで10年ほど活動しました。その後カリスマ美容師ブームもあり都心に憧れて、東京都吉祥寺のサロンに転職したんです。そこでは代官山店のオープニングに参加し、店長も経験しました。サロンワークだけでなく、一般誌や業界誌の撮影に参加したり、メーカーの講師活動や商品開発も経験させてもらいましたね。そこでは8年ほど活動しました。
――独立するにあたり、沖縄を選んだ理由は何ですか?
出店場所の選択肢は、僕の地元の横浜、勤めていた東京、妻の地元の沖縄の3つがありました。でも横浜と東京という地に対しては、どこか満足感みたいなものがあると気付いたんです。地元横浜にて18歳で美容師になり、30歳で東京中心地の美容にどっぷり浸かり、煌びやかな世界に触れてきました。40歳までの10年が、非常に濃かったんです。
沖縄は、結婚してから長期休暇でよく過ごすようになり、自然と沖縄の文化や風土に触れる機会が増えて、ある種の憧れのようなものが芽生えていました。結婚するまで縁のなかった土地ですが、沖縄の良さというのが自分の中にぐいぐい入ってきた感じ。そこで「沖縄でゼロからスタート」という選択が、グッと魅力的になっていったんです。
――たしかに、沖縄移住というのは、とても魅力的に感じます。
当時リゾート地として人気のあった北谷(チャタン)あたりで、夫婦2人と犬1匹、海の見える場所で1日5名前後来客するイメージの、アットホームなサロンでゆったり過ごす。そんな漠然としたイメージでした。
でも、そのことを妻に相談すると、沖縄行きには難色を示していました。妻は当時、東京で僕よりも活躍していましたし、妻にとっては単なる地元である沖縄に戻る理由がなかったんですよね。そこで妻から出された条件が「人を雇う」というものでした。
姉御肌で面倒見のいい彼女なので、夫婦2人で静かにやっていくよりも、スタッフに囲まれて賑やかにやっていけるなら、と。結果的に、海の見えない那覇新都心という比較的都会な場所で、毎年スタッフが増えていくという「沖縄でスローライフ」とは程遠い独立となり、今に至ります。
東京都は全く違う沖縄での開業。
重視したのは地元に住む人の声
――沖縄でのサロン開業で、とくに大変だったことは何ですか?
移住・開業を決めてから3年かけて準備したのですが、その間は東京と沖縄を行き来しながら、時には日帰りでリサーチを続けました。それを自分だけが見られる非公開ブログにつづりながら、少しずつ現地の状況を把握していくという地道な作業でしたね。それが大変と言えば大変でしたが、楽しかった記憶のほうが強く残っています。
物件のリサーチのなかで印象的だったのは、物件を探すときの東京との違いでした。僕は「好立地の物件と出会うためには、数年にわたって何度も不動産屋へ顔を出す必要がある」と思っていたんですが、移住前に不動産屋さんに顔を出して「開業予定は2年後です」と言うとポカン?とされたんですよね。地方で物件を探すときは、早過ぎても意味がないのかもしれない、ちょっと焦りすぎなんだと感じたことを覚えています。
――開業場所を北谷から那覇新都心に変更したのは何故ですか?
北谷は妻の実家が近く、当時は沖縄の人気リゾート地だったので、景観もよく観光客も多い場所だし…くらいの感覚でした。僕自身、ほぼ観光客でしたから、そこしか知らなかったんですよね。
でも実際に独立を視野に入れて動き出したときに、サロンのターゲットゾーンである当時30歳前後だった妻の同級生たちを集めてリサーチしてみると、「なんで北谷なの?」という感じだったんです。地元の人からすると、お店を出して頑張る場所じゃない。商売としてちゃんとやっていくなら、今から発展していく新しい街じゃないか、と。
そこで、当時発展し始めていた那覇新都心という選択肢が出てきたんです。改めてその場所に行ってみると、空き地と駐車場ばかりだけど、すごく大きな商業施設はできていて、いわゆるニュータウンの開発が始まったところという感じでした。未来は想像できるけど、沖縄っぽさはない。でも今は沖縄の中心地のイメージになっていますから、正解だったのかなと思います。
自分から積極的に横のつながりを持ち、
高め合える関係性のある環境づくりを
――実際に開業してみて、開業前と心境に変化はありましたか?
開業前には、その時点の技術と経験で、沖縄の髪質に対応できるのかという不安はありました。でも実際にスタートしてみると、東京と何も変わらないということに気づきました。もちろん沖縄独特のクセの強さや毛量の多さなどに対応する場面は東京時代よりも増えましたが、真剣に可愛く綺麗にするためにできることをただ一生懸命にやるという部分においては何も変わりませんでしたね。
また横のつながりが強い地方で、県外から来た自分がその中に入れるのか?という不安もありましたが、自分から積極的に気になる美容師さんやサロンに声をかけることで、横のつながりも少しずつ増えていきました。ときには妻やスタッフにお客さんとして地元の人気サロンに行ってもらい、理由をつけてお酒の席に誘って、後から自分も合流する…ということもしたり(笑)。そのときできた交友関係は、今でも続いています。
――東京との違いを感じたことはありますか?
当初は移住と開業を同時に進めていたし、経験として自分でできることは自分の手でしたかったこともあり、全てにがむしゃらで東京との違いを感じるどころではありませんでした。覚えているのは、行政関係や地元ディーラーさん、知り合った美容師さんなど、関わって頂く皆さんが優しいと感じたこと。ウェルカムな空気感を、沖縄全体から受けているような気分でした。
沖縄には「ゆいまーる」という言葉があり、「助け合い」という意味だと地元の方に教えていただきました。そういった意味では、地方は周囲に頼りやすい一面を持っているのかなとも思います。もちろん逆の立場になった時には同じことをしてあげたいなと感じました。
――地方で美容師の仕事をするうえで大切なことは何だと思いますか?
同じ想いを持った人たちとのつながりを大切に、お互いが高め合える関係性が持てる環境を意識して広げていくことかなと感じます。それが家族でもスタッフでもいいし、同業者でも先輩でも後輩でも、異業種の方でもお客様でもいい。何が起こっても不思議ではない今、年齢や時代を重ねて乗り越えていくという時に、「決して一人ではない」と思えることは、地方ではとても大切だと思います。
次回後編では、地方での集客や経営についてのアドバイスをお聞きします。
取材・文:山本二季