自分プロデュースの期間を経て独立。信頼できる仲間と共に新しいサロンを築き上げていく【Door代表取締役 吉澤 剛さん】#1

約200店舗ものサロンが軒を連ねる中、代官山エリアにて口コミ数トップクラスを誇るサロン「Door(ドゥーア) Daikanyama」は、前職で同期だった榎本 潤さんと共同経営し、2009年にオープン。吉澤さん個人の活躍も目まぐるしく、「フレーミングカット」や「無重力パーマ」を提案をし、新しい技法を取り入れることで注目を集めてきました。

前編では、吉澤さんが今まで辿ってきた経緯や、独立をすることになったきっかけをお聞きします。

お話を伺ったのは…
Door代表取締役 吉澤 剛さん

地元で美容、理容のWライセンスを取得後、都内にあるサロンに就職。28歳のときにRITZに入社し、「フレーミングカット」や新たな機材の導入などを積極的に行う。2009年には、榎本 潤氏との共同経営のもと、サロン「Door Daikanyama」をオープン。その後も、グリップシザーズといったオリジナルのハサミの開発や日本では初めてとなる「無重力パーマ」の導入、セミナー講師として日本国内を700回ほど飛び交るなど、美容師の枠を越えて活躍の場を広めている。

YOSHIZAWA’S PROFILE

お名前
吉澤 剛
出身地
栃木県
年齢
54歳
出身学校
作新理容学校、マリールイズ美容専門学校
憧れの人
田中角栄
プライベートの過ごし方
休日も仕事にまつわる作業をしています
趣味・ハマっていること
ジム、サウナに行く

憧れの人の背中を追いかけ続けて突き進んだ「自分プロデュース期間」

転職先を「RITZ」に決めるも「3回目にして無事採用された」と、笑って話す吉澤さん。この頃から粘り強さを兼ね備えていたのだとお見受けしました。

――美容師を志したきっかけは何ですか?

僕の両親が理美容師だったことが影響しています。夫婦2人でサロンを経営していて、小さい頃から働いている姿を見ていました。

子どもの頃からプロ野球選手を目指していたので、このときは美容師になろうなんて思ってもいませんでした。

――では、なぜ美容師の道へ?

地元でも強いチームに所属して、毎日一生懸命に野球に取り組んでいたのですが、高校卒業とともに燃え尽き症候群になってしまったんです。普通大学に進学するか、美容の道を選んで家業を継ぐかの選択を迫られ…とりあえず上京しようと。その頃はバブルで景気が良く、どんな仕事に就いてもとりあえず食べられるし、東京に出ることがステータスみたいな風潮があったんです。

親に上京する許可をもらうためには「美容師しかない」と思い、地元の美容学校に進学。そこで理容師・美容師免許のWライセンスを取得したあと、上京して都内にあるサロンに就職しました。

――最初はどんなサロンに就職を?

世田谷エリアに複数店舗を展開している、地域密着型のサロンでした。

とにかく負けず嫌いだったのでがむしゃらに頑張った結果、入社して3年目には店長を任され、その約3年後には3店舗の経営を経験。いっぽうで、プレイヤーとしても着実に実力をつけていきました。

そんな中、あるヘアショーで出会ったのが「RITZ」オーナーの金井豊氏。今でこそ美容師がメディアでヘアメイクやファッションなどを手がけることが一般的になりましたが、当時はまだそんなイメージがない時代。美容師の枠を超えたその活躍ぶりに、衝撃を受けました

次に自分を試す場所は、「絶対にRITZが良い」という気持ちが芽生えた出来事だったように思います。

――実力をつけるために、RITZへ転職を?

そうですね。僕らの時代は、それなりに経験して年数が経てば役職が上がり、やがて独立する…今に比べてサロンの数は少なかったこともあり、そのようなケースが主流だったんです。最初は独立を目指していたわけではなかったのですが、それを視野に入れたときに美容業界を牽引する青山や表参道、代官山などのエリアで働いた経験がないのは課題が残ると個人的に感じ、RITZに転職することを決めました。のちに独立するとなったとき、ある程度名前が知られていて、実力が伴わないと厳しいと考えたんです。

そのとき、プライベートでは結婚して子どもが1人いる状態。美容師としての自分に付加価値をつけること以外にも頑張る理由がありました。

――具体的に取り組んだことは?

写真は、吉澤さんが開発に携わったドライカット専用の「グリップシザーズ」(三和技研)。刃の部分はWポリッシュといって、特殊刃付けにより、「逃がす」「つかむ」の2段階の切れ味が実現。また、従来品よりも持ち手のグリップが上に沿っていて、指にフィットしやすい仕様になっています。

サロンにないものに特化することにしました。誰も取り入れていないものを1人だけやっていたら、目立つじゃないですか。実力がある人たちが大勢いる中、スタイル一本だけで勝負をするのは難しいと思ったので、マネジメント力とリピート率アップに目をつけました。スタイルのデザイン面では「フレーミングカット」を考案し、それに伴ってハサミの開発にも着手。ほかにもホットパーマの機械導入やサロン教育マニュアルの立案など、さまざまな提案をしました。

――個人として、軌道に乗り始めたのはいつ頃?

入社してから2年後でしょうか。入社した直後は前職のサロンでもらっていた給与の4分の1から、月300万円もの売上を更新し、年収が3倍ほど上がりました。

メディアへの露出が増え始めたのもこの頃です。一般誌から業界誌まで取材依頼をいただいたことで名前が広まり、セミナー講師の仕事も増えました。気づいたら、毎週取材や撮影に追われるような生活になっていましたね。

当時はカリスマ美容師が注目されていた時期で、美容ブーム真っ只中。タイミング的にも恵まれていたんだと思います。

自身の未来を考えて共同経営として独立を決意。困難な状況も2人だから乗り越えられた

――順調な中、独立を考えたきっかけは?

40歳を目前に、RITZに自分がい続ける意味がないんじゃないかと思ったことがきっかけです。個人としての依頼が増えたことや、いつまでも僕がトップにい続けてしまうと下の子たちが出てこられないと考えたんです。

そのとき、同期の中でも唯一の理解者であり戦友だった榎本と話していたところ、考えが一致。次世代の人を巻き込んで一緒に盛り上げていけるサロンを作ることを目標に掲げ、独立することを決めました

当時は2人で共同経営するサロンなんてありませんでしたから、各方面で「共同経営なんて無理だ」「うまくいくはずがない」などと、散々言われましたね。

――それでも共同経営を選んだ理由は?

1人だと軸がブレてしまうから

流行や考え方は、およそ5年の周期で更新されると言われています。1人で決めたあとに「やっぱり違ったな」と思ってもどうしようもできない。でも、2人になれば僕以外にも決定権があります。そうすると、1人よりも2人で決めたことだし、外野からいろいろ言われたとしても軸がブレにくいんです。2人で決めるのはめんどうくさいけど、自分以外の誰かと一緒に決定していくことで、うまくいくこともあるんです。だからこそ、僕はめんどくさい方を選びました。

――独立をしてから最初に始めたことは?

金井氏に承諾をいただいたあと、榎本と一緒にサロンの方向性について考えました。規模感や場所の基盤が固まったら、次にお金の問題。幸いなことに独立を決めたと話したところ、出資してくれる方が数人いらっしゃって、あまり心配することはなかったんですが…その2ヶ月後くらいにリーマンショックが起こってしまい、出資していただく予定だった方たちが全員離れていってしまったんです。それが分かった瞬間はもう、顔面蒼白になりましたね(笑)。

――どのようにして開業まで漕ぎ着けたのでしょうか?

お金は、日本政策金融公庫からの借入と複数の銀行に行って資金をかき集め、あとは自分たちの貯金から。想定していた規模よりひとまわりもふたまわりも小さい規模になってしまいましたが、なんとか「Door」を構えることができました。

このときの経験が、お金の大切さについて考えさせられるきっかけになったと感じていま
す。正直、金井氏に土下座してRITZに戻らせてもらおうかとかなり悩みました。榎本と話し合った結果、これはやるしかないという決断に至り、決行したんです。「男に二言はない」みたいな意識もありましたね(笑)。


取材・文/東 菜々(レ・キャトル)
撮影/三好宣弘

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Salon Data

Door Daikanyama
住所:東京都渋谷区代官山町20−5 リードシー代官山 3F
電話:03-5456-4031
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