“トントン拍子”に進んだ大阪時代。「好き」の形を見つめ直し、満を持して東京へ 私の履歴書 【ヘアスタイリストYURUさん】#1

数多くのヘアサロンが立ち並ぶ東京・表参道。「MANHOOD(マンフッド)」は、この激戦区で感度の高い客層から注目され続けているヘアサロンの1つです。今回ご登場いただくのは、「MANHOOD」の第一線で活躍し続けているヘアスタイリストのYURUさん。センス抜群の繊細な仕上がりと丁寧な施術に加え、独自のヘアアレンジにも定評があります。

そんなYURUさんですが、実は長らく地元である大阪を拠点に活躍していたそう。前編では、大阪時代の様子から上京までの経緯などについて伺い、YURUさんの働き方のルーツを紐解いていきます。

YURU’S PROFILE

お名前
YURU
出身地
大阪府
出身学校
ル・トーア東亜美容専門学校
憧れの人
同じくヘアスタイリストの、辻のぞみさん
この方に憧れて、「MANHOOD」に入りました。技術力のみならず人を引き寄せるような、不思議な魅力があると感じます。
プライベートの過ごし方
おいしいものが好きなので、ごはん屋さんの開拓やサウナによく行きます。家の中で過ごすときは、ゆっくりドラマを観ることも。
趣味・ハマっていること
昔からテレビっ子で、ドラマなど見るのが好きです
仕事道具へのこだわりがあれば
手が小さいので、大きさ含めて手に馴染むものを選んだり、グリップをつけたりなど工夫をしています。

幼い頃から身近にあり憧れた、美容師への道

小さい頃の原体験が、YURUさんを自然とこの道に進ませた

――YURUさんが美容師を志したのは、いつ頃のことですか?

具体的に決めたのは高校生の頃ですが、美容師という職業は幼い頃から身近な存在だったので、漠然とした憧れがありました。今思うと、かなり早い段階で美容師を選択肢に入れていましたね。

――何かきっかけがあったのでしょうか?

母親のいとこが美容師で、よく髪を切ってもらっていたことが大きかったと思います。母親に連れ立って、一緒に美容室に行くのも好きな子どもでした

小学生くらいからは自分で髪を結び、毎日髪型を変えて学校に行っていました。変化をつけて楽しむのが好きだったんです。

中学生だった頃には将来の夢について多少迷うこともありましたが、高校生になっていざ進路を決める段階となった時には「やっぱり美容師になりたい!」と思い直し、この道に進むことにしました。

――高校卒業後は、専門学校に?

はい。地元・大阪にある「ル・トーア東亜美容専門学校」に進み、美容師免許を取得しました。スムーズに進めて来られた方でしたね。もともと美術の授業が好きだったし、手先は器用だったと思います。勉強や練習は大変な時もありましたが、苦しいとは思わなかったですね。これはアシスタント時代もそうだったかな。

トントン拍子に成長した美容師としての“青春時代”と、先輩のひと言

大阪での楽しかった日々を振り返りながら、笑顔で話すYURUさん

――専門学校卒業後の進路は?

地元・大阪にあるヘアサロンへ就職しました。当時在籍していたスタッフはみんな移籍や独立をしてしまって今はもうなくなっていますが、レッスンの内容もかなり細かくしっかりしていて、技術面も含めて多くのことを学ばせてもらいました。

オーナーが手広くビジネスを展開されていて、サロンを国内に複数と上海にも出店していたんです。そのため私も他県に出張することがあって、人脈も広がり、おもしろい経験もできました。

5年半以上勤めていたかな。当時のスタッフの方々とは、今でも仲良くしています!

――最初は地元・大阪で経験を積んでいたんですね。

東京で就職することも考えましたが、まずは大阪でできることもあるかな、と。もちろん、家族も友達もいる地元のことが好きだったのもあります。東京でしかできないこと、というのが、当時はあまり思いつかなかったですね。

――大阪では、どんな新人時代を過ごされましたか?

先ほど、アシスタント時代も特に苦しいと思ったことはなかったと言いましたが、もちろん努力しなくてもできたわけではなくて、とにかくたくさん練習しました。そして、その分先輩や同期とたくさん遊びましたね(笑)。仲間に恵まれた、楽しいアシスタント時代を過ごしたと思っています。

その甲斐あって、試験などはトントン拍子にクリアできたんですが、その時に先輩から言われたひと言が印象に残っていますね。

――どんな言葉ですか?

「YURUは失敗が少ない分、経験も少ない。それを補うためにも、他の人の動きや対応をよく見ておいた方がいい」というような言葉だったかな。これを聞いてから、先輩スタッフの対応をとにかくよく観察するようにしていました

幸い、前職のサロンにはいろんなタイプのスタッフがいて、やり方も人それぞれ。そんなスタッフにつくお客様のタイプも千差万別だったので、距離感の掴み方も様々でした。見て学んで、自分で実践して、を繰り返していましたね。

今では多少のことでは動じず、柔軟な対応ができるようになりましたが、それはあの時、その先輩の言葉があったからだったと思います。

先輩に背中を押してもらい、ついに東京行きを決意

「思えば、キャリアを進めるきっかけは、いつも前職の先輩がきっかけでした」(YURUさん)

――大阪のサロンを退職されたきっかけは?

そのサロンの先輩が先に辞められた後、フリーランスの美容師として働いていたのを知ったことです。

サロンに所属し、決められた営業時間で行うサロンワーク以外にも、「美容師にはこんな働き方があるんだ」と思って、自分もやってみたくなりました

そこで、私も前職の先輩がオープンしたサロンを間借りして、1年間くらいフリーランスをしていました。

――フリーランス時代はいかがでしたか?

ここでも楽しく働いてはいたんですが、ふと、自分の中の「好き」の形がわからなくなって悩んだ時期がありました。「好き」を仕事にするのか、それとも「好き」を楽しむための仕事にするのか……。

そこで、もっと他のサロンを見てみようと思い、美容師の派遣に登録してみたんです

――美容師にも派遣ってあるんですね!

あるんですよ!(笑)

短い期間でしたがいろんなサロンを見て回る中で気がついたことがありました。稼ぐことももちろん大切だけど、私にとっては自分好みのスタイルや雰囲気――ひいては、自分好みの世界観を持ったサロンで働く方が楽しいということ。自分の中の「好き」の輪郭をより鮮明にすることもできたので、トライしてよかったと思います。

――その後、東京へ?

はい。それも、先に上京していた前職の先輩と話したことがきっかけでした

大阪でサロンワークしながら、いつか東京で働きたい気持ちはずっと持ってはいたのですが、地元の居心地が良いのもあってなかなか行動に移せずにいました。

そんな時、その先輩に久々お会いしたら「東京に来るなら今のタイミングじゃない? 気になるサロンはないの?」と、ふいに声をかけてくれて。それを聞いて、東京行きへの思いが強くなりました。27歳の時です。

当時からInstagramはやっていましたが、私は他のサロンをフォローしていなかったんですよね。そんな私が唯一フォローしていたのが、今の職場である「MANHOOD」だったんです

YURUさんが長年愛用するシザーケースは、TRUCK FURNITUREのシロクマ舎のもの。ソファの余り革を使用して手作りされているシザーケースは、使い込むほどに色が濃くなり、艶が出て、さらにいい味になっていく


幼い頃からの憧れを叶え、美容師としての青春時代を過ごした大阪での経験をもとに、27歳にしてついに上京を決意したYURUさん。後編では、東京でのサロンワークの日々や、東京に来たからこそ改めて感じた地元・大阪という場所について語っていただきます。

撮影/内田 龍
取材・文/勝島春奈

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