経験を積ませてもらった東京と故郷の群馬、2つの大切な場所で美容師を続ける【lulu. 齋藤純也さん】#1
私表参道の美容室と群馬の美容室を兼任する齋藤純也さん。オーナーとしてそれぞれのサロンを盛り立てながら、カット技術にこだわる美容師として数多くのお客様の魅力を引き出しています。
前編では、「骨を埋める覚悟」で入社したサロンでのエピソードや、東京と群馬の2拠点で活動することになった理由などをお聞きしました。
お話を伺ったのは…
lulu.
代表・美容師 齋藤純也さん
2008年に美容学校卒業後、表参道の有名店で10年間勤務。2年6ヶ月でスタイリストデビューし、当時の社内最速を記録。雑誌撮影やヘアショー、国内外でのセミナー講師など多彩な経験を積む。2017年、株式会社L.O.G入社。約4年勤務ののち独立。現在は表参道の「lulu.(ルル)」、群馬県伊勢崎市の「QUON.(クオン)」、群馬県太田市の「kelly.un(ケリー アン」のオーナースタイリストとして活躍中。
Instagram:@jyunya_saito
SAITO’S PROFILE
お名前 |
齋藤純也 |
---|---|
出身地 |
群馬県 |
出身学校 |
足利デザイン・ビューティー専門学校 |
憧れの人 |
過去に出会った素晴らしい先輩たち |
プライベートの過ごし方 |
家族と子供の遊び場に行き全力で遊びます!趣味のゲームも子供たちと! |
趣味・ハマっていること |
2025年から弓道を始めました! |
仕事道具へのこだわりがあれば |
光邦さんのシザーを大切に使っています! |
初めて勤めたサロンは、継ぎたいほど大好きな場所だった

――美容師を志したきっかけは何ですか。
両親ともに美容師なんですが、僕がまだ幼い時に離婚したので、小学生の頃は学校が終わると母の勤める美容室に帰る生活でした。そこで働くお姉さんたちにすごく良くしていただいて、美容室って楽しそうだなという印象がずっとあったんです。
大きなきっかけになったのは、中学生になってから母に縮毛矯正をかけてもらったこと。天然パーマだったので、自分が変わったのがすごく嬉しかったんです。その時、小さい頃から見ていた美容師さんの楽しそうな姿を思い出しました。そして人をポジティブな気持ちにさせられる仕事ってすごいなと思い、進路を決めました。
――美容専門学校時代の思い出や、印象に残っていることはありますか。
学校に通うのは楽しかったですけど、上京資金を自分で貯めなきゃいけなかったので、とにかくバイト三昧の毎日でした。平日は朝の5時から8時までガソリンスタンドで働いてから学校へ行き、土日は5時から午後3時までのフルタイムで働いていました。だから友達に誘われてもあまり遊びに行けなかったし、学校の記憶がほとんどない…。ただ当時は、東京の美容室には皆勤じゃないと就職できないというイメージがあったので、一度も休みませんでしたね。
――東京の美容室に勤めたいという思いが、早い段階からあったんですね。
東京の有名店の代表と僕の母が同級生だったという縁で、高校生の時にその方のセミナーを見に行ったことがあるんです。そこで感銘を受けて、自分も東京に行くと決めた感じですね。
――それほど、セミナーのインパクトが強かった?
そのサロンの代表がすごく魅力的でした。あの当時はちょっと派手な感じの美容師さんが一世を風靡していた気がしますし、美容師ブームで華やかなところも多かった。でもその方は職人気質なところがあって、自分が前に出るというよりはお客様を輝かせるという姿勢がかっこいいなと思って。
就職試験を受けたのはそのサロンだけで、それ以外はまったく考えていませんでした。入社できていなかったら、美容師にならなかったかもしれません。
――入社当初は、どんな将来を思い描いていましたか。
骨を埋める覚悟で入社したので、スタイリストになりたての頃からずっと「将来は会社を引き継ぎたい」と公言していたんですよ。社長がどんなものかもわからないし、お金の知識すらないのに。僕にとっては「大好きな場所にずっといたい=継ぎたい」だったんですね。そうそうたる先輩たちがいる中で、おこがましいですけど(笑)。
毎日必死な自分を助けてくれたのはお客様

――どれくらいでスタイリストデビューしたのでしょうか。
アシスタントを2年半やってからスタイリストになりました。当時は大体5年くらいでデビューする人が多かったので、最速でしたね。
――なぜそんなに早くデビューできたのですか。
ほかにすることがなかったので、ひたすら練習をしていたんです。実はその当時、代表以外にカット練習を見てもらうのは禁止だったのですが、とある先輩が休みの日にいつも見てくださって。試験のたびに内緒で練習できたので、上達できたというのが大きいですね。
お昼くらいに練習が終わって、そのあとは夜9時、10時まで街でモデルハントをする。それが休日の過ごし方でした。
――スタイリストになってから、すぐに自分のお客様を獲得できましたか。
そうですね。街で声をかけさせていただいた練習モデルさんが、そのまま顧客になってくださることが多かったですね。その頃のお客様、今でも来てくださっているんですよ。
――練習モデルを機に、ファンになってもらえたんですね。なぜリピートにつながったと思いますか。
今となってはわからないですね…。毎日必死だったので、リピートの秘訣を分析するのが難しいんです。ひとつ言えるのは、その時にとにかく一生懸命だったから、お客様が協力してくれたんだと思います。本当にお客様に助けられたなと実感しています。
――10年間の在籍期間中に、ターニングポイントとなったできごとはありますか。
コンテストで優勝させていただいたのがひとつのターニングポイントかな。知り合いの美容師さんに「齋藤さんが作っているスタイル、いいですよね」と言われた時に、同業者である美容師に見られていることを自覚しました。すごく緊張したし、怖いなとも思ったんです。
注目されるようになってしまったけど、自分がこれまで見てきたような偉大な先輩や憧れの先輩のような美容師にはなりきれていない。先輩方と自分のギャップを感じて、どうしていいかわかりませんでした。
コンテストで優勝してからが鍛錬だった気がします。まずは作品撮りをしまくりましたね。
――それ以前の作品撮りと何かが変わりました?
「お客様目線の美容師でありたい」という気持ちは変わりませんでしたが、真似していただけるようなものを作りたいと意識するようになりました。
カメラが好きなので、お金を貯めて買った一眼レフで撮影していました。僕はそこまでセンスがある方じゃないですけど、ほかの人があまりやっていない写真の質感にこだわったりして。
――大好きなサロンで活躍していたのに、辞めようと思ったのはどうしてですか。
母が頑張ってお金を貯めて、地元の群馬で小さな美容室をやっていたんです。パート従業員の方が高齢で辞めることになり、母ひとりで営業する状況に。これはどうにかしなければと思いました。それで、出勤日を少しだけ減らして、母の美容室を手伝いたいと会社に相談したんです。
結果はNGでした。今となっては社長の考えもわかるのですが、その時はさすがに親を見殺しにはできないと思いました。
ちょうど、今の妻と出会って自分の収入や将来設計を考え始めたタイミングでもあったんです。片親で育った僕は、自分自身の家庭を作るのが理想だったので。それもあって辞めることを決意しました。
都内で移籍すると同時に、群馬のサロンでも働き始める

――そのあとに勤めたのが、L.O.Gですね。
前サロンを辞めたあと、ありがたいことにいろんな人からお声がけをいただきました。そんな中、「ああ、ここだな」としっくりきたのがL.O.Gです。
憲司さん(L.O.G代表の唐澤憲司さん)がいて、同郷の長山(AMBERGLEAM代表の長山友宇希さん)や専門学校の同級生の村岡(L.O.G KINSHICHO代表の村岡健一さん)が活躍していて。長山とは中学生の時の職場体験で出会い、その後に高校で再会し、専門学校も一緒でした。不思議ですけど、彼とはずっとほどよい距離感で縁が続いているんです。
群馬のサロンでも働くことを理解してもらったうえでL.O.Gに入社して、すごくお世話になりました。
――そこから、東京と群馬を行ったり来たりになったんですね。
はい。L.O.Gは週休2日なので月に8日休みがあって、そのうちの6〜7日は群馬へ行って働いていました。最初から独立を考えていたわけではなく、まずは東京と群馬の2拠点でできるかどうか試したというか。休みは月に1、2回でしたけど、バイト漬けの学生時代よりはマシでしたね。
群馬のサロンには新たに入ってくれたスタッフがいたのですが、初めの半年くらいはその子たちの売り上げがお給料よりも低かったんです。だから自分の売り上げとお給料から、彼らのお給料を支払う状況でした。
――群馬のサロンの集客はどのように?
インスタグラムでも集客しましたが、ご紹介で新規の方が次々と来てくださいました。今では結構、繁盛店になっているんですよ。
――その頃L.O.Gでは代表を任されていたとか。
入社してわりとすぐに代表に就任し、相当揉まれて、でもそれが本当にいい経験になりました。
もともと人と話すのが苦手だったのですが、スタッフと積極的に話してみるとか、一緒に食事に行ってコミュニケーションを取るとか、とにかく試行錯誤でした。スタッフの教育も全部任せていただいたので、教育もして、サロンワークもして、群馬でも働いて…。なかなか大変でしたね。
――2拠点のお試し期間を経て、本格的に独立すると決めた経緯を教えてください。
L.O.Gでは本当に良くしていただいたんですよ。でも、自分のアシスタントが美容師を辞めようとした時に「せっかく自分の下で育ってくれたのにもったいない!それなら自分で店を出して、その子に働いてもらいたい」と思ったんです。
ただ、独立するにあたってL.O.Gに迷惑をかけたくないし、自分がされて嫌なことは絶対したくない。きちんと筋を通すことを意識して、憲司さんと話をさせていただきました。
後編では、独立して作ったサロンのお話や、人生のどん底を味わったとある事件のこと、そこからの復活についてお聞きします!
撮影/生駒由美
取材・文/井上菜々子
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lulu.
住所:東京都港区北青山3-9-12 セイジュンビル 1F
TEL:03-6433-5928