コンテストで評価されてもお店に帰ればお客さんはゼロだった…修行時代に気づいた大切なこと【NERIE/代表 諏訪友哉さん】#1 

老舗サロン・PEEK-A-BOOで経験を積み、2021年に独立。銀座で自身のお店「NERIE(ネリー)」をオープンさせ、オーナースタイリストとして活躍する諏訪友哉さん。

これまで多くのコンテストで受賞し、長年に渡り美容業界誌などさまざまなメディアからヘアスタイルを発信。確かなカット技術で、お客様からの信頼度が高いのはもちろん、業界からも注目される美容師の一人です。

今回の<前編>では、そんな諏訪さんが美容師になったきっかけや修行時代のエピソードなどをお聞きしました。

お話を伺ったのは…

NERIE 代表 諏訪友哉さん

2005年PEEK-A-BOO入社。JHA(ジャパンヘアドレッシングアワード)を始めとするさまざまなコンテストで入賞。一般誌、業界誌ともに多くのスタイルを担当し、セミナーやヘアショーなどにも積極的に参加した。2021年8月に退社し、同年9月、銀座にヘアサロンNERIE(ネリー)をオープン。コロナ禍での逆境にも負けず、確かな技術とお客様一人ひとりに丁寧に向き合う接客で、美意識の高い大人世代からも支持を得ている。

SUWA’S PROFILE

お名前

諏訪友哉

出身地

東京都

出身学校

国際文化理容美容専門学校国分寺校

憧れの人

岡田武史さん(人材育成の哲学や、個の力を引き出すマネジメント力に惹かれます。美容師の教育にも通じるものがあり、常に学ばされます)

休日やプライベートの過ごし方

国内・海外旅行

仕事道具へのこだわり

ミニマムで手になじむような小さいシザーを愛用しています。繊細な操作がしやすく、指先の感覚をダイレクトに伝えられるため、細部まで意図を反映したカットが可能に。無駄を削ぎ落としたシンプルな道具こそ、技術を最大限に引き出してくれると感じています。

「変化するものをデザインする」その難しさにおもしろさを感じた

――まずは、美容師を目指したきかっけを教えてください。

もともと「ものづくり」に興味があって、絵を描いたり、手を動かして何かを作ったりするのが好きでしたね。子供の頃は図工が得意で。将来は、何かを作る仕事に就きたいと思っていました。

なぜ美容師かというと、髪って、生きている素材というか、どんどん変化していきますよね。質感もクセも人によって全然違う。そういう「変化するものをデザインする」というところにおもしろさを感じたからです。難しいけれど、正解がないからこそ、自分の感性や技術で表現できる。そこに惹かれました。

――高校卒業から美容専門学校へ?

はい。家系的にはけっこう堅い職業が多くて、美容師を目指したいと両親に伝えた時は、反対こそされませんでしたがすごく驚かれました。

やるならばとことん極めたい、やりがいを求めたい、という気持ちが昔から強くて、専門学校も一番厳しくて難しそうなところにチャレンジ。あえて自分を追い込んできました。

余談ですが、高校までサッカーも本気でやっていて、東京のユースチームに所属していました。プロのサッカー選手になって、20代半ばで引退して、そこから美容師になる(!)という人生設計案。でもサッカーのプロ契約は叶わなかった。どの道、美容師にはなりたかったのですが、「美容師は何歳からでも始められる仕事」という点も魅力に感じていました。

徹底的に叩き込んだ基礎が、今もなお美容師人生の土台になっている

――新卒で入社したのが「PEEK-A-BOO」。選んだ理由は?

これも専門学校の時と同じで、やるからには徹底的に技術を叩き込めるサロンにしようと。PEEK-A-BOOは歴史のある美容室でしたし、業界トップクラスのカット技術をしっかり学びたいという思いでした。

――名門だけに、アシスタント時代からとても大変だったのでは。

今思い出してみても、めちゃくちゃハードで、想像以上に厳しかったというのが本音。とにかく「基礎を徹底すること」がすべてというサロンだったので、営業後も毎日深夜まで練習していました。

ウィッグがボロボロになるまでカットして、カラーもブローも先輩に見てもらいながら何度もやり直し。

当時は、「これ、一体いつ終わるんだろう…」と思ったことも。でも毎日繰り返すうちに少しずつ身体に染み込んできて、ある時「あ、こういうことか!」と感じる瞬間があるんですよ。そのようやく掴めた感覚が自分の土台になっていって。やっぱり尋常じゃない数をこなしてこそ研ぎ澄まされるものはあると感じたし、基礎をおろそかにしないことの大切さは、僕の美容師人生をずっと支えてくれています。

――スタイリストデビュー後は、どんな風に集客していましたか?

今のようにインスタやTikTokのようなSNSはなかったので、集客はかなり地道なもの。とにかく友達に声をかけて、さらにその友達に紹介してもらって…というような、完全なる「人力ネットワーク」です(笑)

昔サッカーをやっていたつながりから、プロサッカー選手のヘアスタイルを担当させていただく機会もありました。試合でかっこよく見えるスタイルをオーダーされることが多く、それを見たファンの方や若いお客様が「自分も同じ髪型にしたい!」と来てくださることも。

当時の発信ツールといえばブログが主流。選手がブログで紹介してくれると、次の予約が一気に埋まったりして、「影響力ってすごいな」と実感しましたね。

今のようにSNSに頼らない、人と人とのつながりがすべてだった時代。手法こそアナログでしたが、紹介してくれた人の期待に必ず応えようとする責任感や、一人ひとりへの向き合い方はすごく鍛えられたと思います。

コンテストでは評価されるのに指名は増えない…そのギャップに悩んだ

――若手の頃、悩んでいたこと、苦労したことはありますか?

スタイリストになりたての頃は、まったくうまくいかなかったです。デビューしたからお客様が一気につく、というわけでもなくて。

当時、僕はコンテストや作品撮りにもすごく力を入れており、ありがたいことにJHAなどのコンテストで結果を出すことができました。

でもふと気づくと、コンテストでは評価されているのに、お店では指名が増えない、予約は入ってこない。自分は正しいと思ってがんばっている、なのに目の前の現実が伴わない。

もがいて、葛藤して、でもコンテストではがんばって評価をもらう…それで心を保っていた時期は、本当に辛くて、悩みました。

――そういう状況をどうやって乗り越えましたか?

結果として、自分の視点が外に向いていたんだと気づきました。コンテストも作品撮りも自己表現のひとつで大事ではあるけれど、そればかりに集中しすぎて、目の前のお客様にちゃんと向き合えていなかった。

当時の先輩から、「お前は結果は出してるけど、結局、目の前のお客さんにしっかり集中してないんだよ。自分を指名してくれるお客さんが多いことが、美容師として一番かっこいいんじゃないの?」こんなアドバイスをもらった時がありました。ハッとしました。

それからは、お客様一人ひとりとの時間を何よりも大事にするように心がけました。「この人の今日の気分は?」「何を求めているんだろう?」と、もっと対話を増やすようにしていったら、自然と信頼関係が生まれ、リピートしてくださるお客様も増えていきました。

――それから15年以上、PEEK-A-BOOで活躍され、独立しようと思ったきっかけは何かあったのでしょうか?

正直、前サロンには何の不満もありませんでした。スタッフにもお客様にも恵まれ、やりがいのある仕事を毎日させてもらってました。人間関係もよかったし、成長できる環境も整っていて、本当にありがたかったですね。

経歴がだんだん長くなってきて、ふとした瞬間に「自分は、まだ誰かに頼ってるな」と思うように。サロンという守られた環境の中で、すっかり安心してしまったというか。

それに気づいてから、「もっと自分を厳しい環境においてみたい」という気持ちが強くなりました。自分で全部決めて、自分で責任を取る環境に飛び込んだ時に、本当の意味での「自立」ができるんじゃないかと感じたんです。

独立は、僕にとっての「挑戦」。自分を試してみたかったし、限界を超えるためのステップとして決断しました。

取材・文:青木麻理(tokiwa)
撮影:生駒由美


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NERIE(ネリー)
住所:東京都中央区銀座2-8-17 ハウビル銀座2 5F
電話:03-6228-6535
NERIEのInstagram@nerie.tokyo

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