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コラム・特集 2020-04-04

アシスタント時代からプロの動きを意識しチャンスを掴みました。私の履歴書Vol.22【ABBEY 松永英樹さん】#1

大人気美容室「ABEEY」のオーナーである松永英樹さん。経営者として今までにない発想で、ヘアサロン業界を牽引してきました。オープンした最初のサロンはなんとファッションブランドとコラボしたサロンだったとか!? 前編では、美容師を目指すきっかけやアシスタント時代に注目されるようになった驚きの理由などをお届けします。

MATSUNAGA’S PROFILE

 

幼少期〜専門学校時代

信じてくれた父の言葉が今でも原動力となっています

——幼少時代はどのように過ごされていましたか。

長崎出身で、自分で言うのもなんですがクラスに一人や二人いる、好奇心旺盛な人気者でした。サッカーや運動が好きなタイプでしたね。

——美容の道へ進むようになったきっかけを教えてください。

高校が進学校だったんですね。当時は、バブルの全盛期だったので大学を卒業して、なるべく良い企業に就職するような風潮でした。自分の中では、「サラリーマンになるのが夢ではないぞ」と途中から思ったんです。自分は何が好きなんだろうと考えたときにファッションの仕事をしてみたいと思ったんです。でも、長崎の田舎に住んでいたのでスタイリストやデザイナーの知り合いがいなくて、どうしたらなれるかわからなかったんですね。でもヘアメイクだったら、「毎月髪を切りに行っているし、その延長線上でなれるかな」なんて思ったことがきっかけでありましたね。

——そこから、 美容の専門学校を目指したのでしょうか。

はい。そもそも、僕が通っていた高校が進学校で95%の人が大学へ行ったり、浪人生になる人がいる中で専門学校に行く人は学校の中で2、3人しかいないんですよ。母親も先生も友達もみんなに反対されました(笑)。「日本でもトップクラスの美容師の人になるから」と言っても、「いや難しいよ」と言われて……。そんな周りからみんなに言われたら「自分の考えが間違っているのかな」と思うじゃないですか。そんなときに父親だけが応援してくれたんです。「本当にやりたいことなら応援する。ただし、その代わり辞めるなよ」と。その信じてもらえたことや約束したことが今でも自分の支えになっていると思います。

——専門学校もいくつか見られて?

そうですね。専門学校って色々あるじゃないですか。その中で僕が行った学校が「東京マックス美容専門学校」。その当時は「東京マックスファクター美容専門学校」という名前で。「なんか外資っぽくてかっこいいな~」というだけでイメージで入学しました。専門学校は、自分が好きで選んだことなので楽しくやっていました。女の子の生徒が多かったので、バレンタインデーにチョコをたくさんもらった記憶もあります(笑)。

——新卒でPEEK-A-BOO(ピークアブー)に進まれたとのことですが、何か決め手はありましたか。

今はもう有名サロンといったら沢山あるじゃないですか。でも当時って意外と少なかったんですよ。その中でもカット技術が優れていて、かっこいいなと思ったPEEK-A-BOOにしました。

アシスタント~スタイリスト時代

アシスタントでもプロの動きを。相手に満足してもらえるような行動を意識していました

——入社してからの思い出はありますか。

当時は5店舗あったんですけど、その中でも原宿店が一番忙しかったんですね。最初は自分は別の店舗に配属されていました。原宿店は、1日100人くらい来る多忙なお店で、アシスタントも5人配属されたんですけど、1ヶ月で4人が辞めてしまったんです。残った一人が美容学校の同級生で仲がよかったということもあり、自分もヘルプへ行くことになったんです。ヘルプをしているうちに原宿店へ異動になりました。

例えばシャンプーをやるにしても、アシスタントが2人だけだと、必然的に1人あたり50人ずつやらなければならなかったんですね。他にも忙しいときは100人分のタオルを畳んだりとか。そのときは大変だったと思いますが、今思えばとても楽しい思い出だったなと思います。人よりも倍の数をこなしていたので、美容師としての基礎体力をつけることができました。この経験が一つの礎になっているかなと思います。

——その当時から人よりやってやるぞ! という意気込みみたいなものはあったのでしょうか。

そうですね。いかに売れるかというのを意識していたし、売れている人と売れていない人の差ってなんだろうとか。先輩の仕事とか、そういう部分を常に見ていましたね。

——そこから気づきを得て自分はこうならないようにしようと反面教師に?

はい。こうなるためにはこうしなきゃいけない。こうならないためにはこれはしちゃだめだ、とかっていうのはすごく目の前で見させていただきました。レベル高いチームにいたので、求められるクオリティも高かったです。もう一段階上に行くには、日々の動き方とか技術の鍛錬の仕方とか、どこをこだわればいいのか、逆にこだわらないのかなど、常に考えていました。

美容の仕事って技術だけって思われがちなんですけど、やっぱり必要なのは『技術』に加えて『接客力や人間力』がものすごく大事になってくるので、そこの磨き方で変わってきますよね。例えば、声のトーンや話す内容、お客様へ対するちょっとしたおもてなしの仕方など。知らず知らずに学んでいたような気がします。

——スタイリストになった後の印象的な思い出はありますか。

デビューして2、3ヶ月したくらいに先輩が辞めたんです。先輩が担当していたタレントさんを誰が担当を引き継ぐかとなったときに、タレントさん直々に、「次のカットを松永くんにお願いしたい」と指名してくださったんですね。担当した直後、CDを発売されたんです。そのCDがなんとダブルミリオンを記録。そこから、そのタレントさんの髪の毛を切ったのは誰だということで話題になり、注目されるようになりました。

——それはすごいですね!

それがきっかけで毎月いろんな雑誌に出させていただくようになりました。雑誌を見たお客様がたくさん来てくださって、瞬く間にトップクラスレベルの売り上げになりました。

——この状況は松永さん的にどのように捉えていたのでしょうか。

タレントさんにそうやって指名いただけるということは、信頼関係がなきゃダメだと思うんですね。それまでの蓄積や信頼関係があったからこそ、指名いただけたのかなと。だから、今アシスタントをやっている人たちには、『先輩のお手伝いをしている』という意識で仕事して欲しくないというのはメッセージとしてあります。お手伝いをしているって考えながら仕事するのと、「頼まれた仕事は自分がプロとして100%満足してもらうように仕事をする」って思いながらやるのとじゃ全然違うと思うんです。そうすることによって、ご縁があったり、本物に近づくことができると思います。お客様から見たら、アシスタントではなく『一人の美容師』じゃないですか。そこは意識しながら仕事をしてもらいたいです。

——当時の作品作りに対するインスピレーションはどこから得ていたのでしょうか。

先輩が作ったものも見ていましたし、アドバイスももちろん聞いていました。加えて、ストリートカルチャーが出てきた時期でもあったので、街にいるかっこいい男性や女性にインスパイアされたりしましたね。

独立時代

ファッションブランドとコラボして今までにないお店を作りました

——その後、独立され新店舗をオープンされたんですよね。

当時人気のファッションブランドのA BATHING APE(ア・ベイシング・エイプ)というブランドとコラボレーションをして『BAPE CUTS(ベイプ カッツ)』というお店を出しました。誰もやったことないことをしたいとずっと思っていたんです。どうせやるんだったらみんなが楽しいと思ってもらえるようなお店を。そこでコラボレーションをしてサロンを出すことにしたんです。打ち出し方法や宣伝をブランドの力を借りながら楽しくやっていました。有名人や世界のデザイナーさんが来てくださったり、多方面から取材を受けたりしましたね。

——その後、原宿からこの表参道へ移動してきた理由はなんでしょうか。

当時、原宿が低年齢化していたこともあり、若い人中心の街になっていました。自分も年齢を重ねてきて、少し大人のサロンにシフトチェンジをしたいと思い表参道へお店を移して店名を「ABBEY」に変えました。

アシスタントのときからプロ意識を持って仕事をしていた松永さん。後編では、ABEEYに対する思いやこだわり、今後の夢などを伺いました。

▽後編はこちら▽
過去や未来に捉われることなく『今』という時間を大切に。私の履歴書Vol.22【ABBEY 松永英樹さん】#2>>

撮影/中村 早
取材・文/梅澤 暁

Salon Data

ABEEY(アビー)

住所:東京都港区南青山5丁目7−23 始弘ビル2F
TEL:03-5774-5774

 

ABEEY2(アビーツー)

住所:東京都港区南青山4-21-26 RUELLE青山-A棟3F
TEL:03-3405-6655

URL:https://www.abbey2007.com/
松永さんのinstagram:@abbey_matsunaga

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