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コラム・特集 2020-11-15

タイミングと縁を掴む才能に恵まれていました。私の履歴書 Vol.28【Cocoon代表 VANさん】#1

雑誌の常連サロン「Cocoon」の代表であり、美容業界とお客さんの双方にファンが多くいるVANさん。本企画の主旨である「有名になるまでの道のりについて教えてください」という依頼に対し、VANさんは「そもそも僕って有名なのかな…??」の一言。その真意を探るべく、まず前編では、幼少時代に遡り、巨匠との出会いを含むアシスタント時代までのお話を伺います。人よりも不器用だったことで、ダメ出しばかりされていたエピソードについて、ユーモアたっぷりに語ってくださいました。

VAN’S PROFILE

幼少期〜美容業界に入るまで

インテリア学校中退からの美容室でのアルバイト

――幼少期の頃について教えてください!

今よりもずっと目立ちたがり屋だったかもしれません。大して実力もないのに騒いでいるだけの子ってクラスに1人2人くらいいるでしょ。小学校中学年くらいまでは僕がまさにそういうタイプでした(笑)。小学生の頃って体ができていないから実力勝負ではなくて、キャラとかノリで人気者になれるというか。だから自分も勘違いをしていたんですが、中学生になると本当の実力が問われるようになってきて、初めてそこで打ちのめされたんです。あぁ自分は大したことないんだなって。

――それはまた残酷な…。

これまで順調満帆だったのに、だんだんと上手くいかないことの方が多くなっていきました。学校は楽しかったけれど、求められる勉強や運動にはついてけなくて、高校でドロップアウト気味にディスコにハマり出したんです。学校が終わったら21時までバイトをして、24時までディスコにいる、みたいな。大人たちに囲まれて週5で通っていましたからね(笑)。ディスコに通っているうちにお店の内装とかに興味を持つようになり、高校卒業後にインテリアの専門学校に進学したんです。僕は長崎の出身なんですが、ずっと東京への強い憧れがありまして(笑)。正直、真剣にインテリアを学びたかったわけではなく、今考えると都会に出られれば何でも良かったのかもしれません…(笑)。結局、家庭の事情で東京には行かせてもらえなかったんですが、福岡まで出ていくことが叶いました。

――美容の道に進まれたきっかけは何ですか?

実は、美容室で働くことになるまで美容師に興味なんて一ミリもなかったですよ。美容師になりたいと思ったことなんてありませんでした(笑)。

インテリア学校の1年目、3学期の始業日に担任が教室に入って挨拶をし出したときにね、「ああ。またこの光景か…つまんないな」と思ったんですよ。そうしたら急に気持ちがプツッと切れてしまって、親に内緒で勝手に学校を辞めました。中退後にアルバイトをした先が美容室だったんです。

――インテリア学校からの美容室ですか!

学校に行かなくなったその日、天神という街のおしゃれそうなサロンに履歴書を持って行ったんです。普通は郵送するんでしょうけど、僕、無知だったから(笑)。サロンの人も「美容学校を卒業してから来てください」とやっぱり相手にしてくれず、その日だけで6件のサロンに断られましたね。天神のおしゃれサロンは難しいなと思って、どんどん郊外に下って行くんだけど、結局自分のアパートの近くの「RASHヘアー」というサロンで雇ってもらえることになったんです。僕を含めて4人しかスタッフがいない小さな街の美容室でしたが、そこが初めての美容業界でした。オーナーがブローしている姿を見て、「かっこいいな!」と思って、お店に置いてある美容雑誌などを読み込むようになったんです。

――勢いがすごいですね! でも、美容学校を出ていないので分からないことだらけですよね。

逆に業界のことを知らなすぎたことが幸いしたんだと思います。美容師に対する先入観や理想がなかったのでがっかりすることもありませんでしたからね。給料が安いとか労働時間が長いなどの風評も知らず、アシスタント時代はこんなもんだろうという気持ちで働けていました。

――確かに、過酷なアシスタント時代を乗り切る上で、そういう風に考えられる人は強いですよね。ちなみに失敗談はありますか?

初めてやらかした失敗がシャンプーでした。何にも知らない状態で「シャンプーに入って。即席で教えるから」と言われたので、見様見真似で覚えるじゃないですか。当時はバックシャンプーではなくてサイドシャンプーでしたが、初心者なのでタオルやラップなどを5重にも巻いて濡れないようにして挑んだんですね。新人なんだから教わった通りにやればいいものを、中卒で僕より2コ年下のスタッフがやっているのに対抗して真似したんですよ。

そうしたらお客さんの服はずぶ濡れ。シャンプーから上がってきたら服の色が変わっていてびっくり! 5重にしているのに逆によくあそこまで濡らせましたよね、本当。お客さんは怒って帰ってしまったので、店長に自分で家まで行って謝りに行くよう言われたんです。自分なりにどんな風に謝罪すれば良いのかを考えて、500円の菓子折を持って頭を下げに行ったんですよ。それできちんと許してもらえて、「またあの子にシャンプーさせてあげるわ」って言ってもらえましたけどね。

TONY&GUY時代

全てにおいてビリでした

――美容師の資格はどのタイミングで取られたのですか?

美容業界について興味を持ちはじめて有名店で働きたくなったんですよね。有名店はレッスンなどがきちんとしているイメージだったので。その当時、福岡で有名店といえば「SHIMA」か「TONY&GUY」の二択だったのですが、SHIMAは国産ブランド、TONY&GUYは海外ブランドで、そうなるとやっぱり海外でしょ! ってなりますよね(笑)。それでRASHヘアーで1年くらい働いたのち、TONY&GUYに入社しました。美容師免許はTONY&GUYにいた頃に通信教育で取ったんです。チーフに「大人になってからの勉強は大変だから早く取っておいた方が良いよ」と言われて、「へぇ、そんなの必要だったんだ」って感じで受けたんです。でも、あのタイミングで取っていなかったら、今ここで美容師をしていられたかわかりません。僕、周りの人からの助言に恵まれていたんだね、きっと。

――机上の知識より先に現場を知れたことはメリットが大きい気がします。

本当にそれは思います。先に学校の授業を習っていたら、もしかしたら続けられなかったかもしれません。何というか、出会うタイミングって大事だなと今になると思いますよね。

――アットホームな街の美容室から有名店に移られていかがでしたか?

都会のサロンというだけあって、立ち姿にも注意されるんですよ。手はこうしなさい、後ろで立っているときはこうしなさいって。方言も使ってはいけなかったし、縦社会もしっかりしていました。あの頃は鎖国でしたね。よそのサロンは一切受け入れないというくらい、みんながプライドを持ってやっていましたね。それまでとのギャップは大きかったんだけど、そんな先輩達を見て「やっぱりかっこいい!!」と思いましたね。

――やはり辛いことも多かったですか?

もう全然ダメでしたね(笑)。先輩にパーマ練習を見てもらったら、「こんなもん見られない」とウィックを床にバーンってされるの。でも、職人の世界はこんな感じだよなと思っていたので、技術指導に関してそこまで辛く感じませんでしたけどね。

出来は悪かったですよ。一緒に入った同期の誰よりもね。だって全てにおいてビリだったんですから。もうね、ぶっちぎりのビリですよ! みんなが半年前に合格していることがまだできない、という感じでいくつもの項目で遅れを取っていました。当時のレッスン表を今でも持っているんですが、「下手すぎて見られない」「下手の極み」とかボロクソに書かれてますよ(笑)。

――下手の極み…! そこまで言われて辞めたくなりませんでしたか?

出来が悪かったからこそ先輩にはよく可愛がられていて、接客で先輩の後ろにつかせてもらうことも多かったんです。そういう先輩たちの恩恵もあって続けられていたのもありますね。僕は自我がなかったから良かったのかな。実力がないのに知識だけある人は上からの反感を買いやすいですが、僕の場合は実力もなければ知識もないから。知らないことを知らないと言えて、先輩に素直に頼ることができたから可愛がられたのかもしれません。

――「無知」だったのがかえって良かったのですね。ちなみに同期は先にスタイリストデビューをしていたのでしょうか?

同期はみんなスタイリストになっていたし、僕のあとにしばらく新人が入らなかったんです。だから僕、3年くらいシャンプーばっかりしていました。ずっと皿洗いをしているイメージかな。でも、上司には「下を入れてほしい」ではなく「東京に異動させてほしい」とずっと言っていたんです。「お前みたいなシャンプーマンが東京に行って何ができるんだ」ってあしらわれていましたが、ジュニアスタイリストになるまでひたすら「東京! 東京!」って言い続けていましたね。

巨匠・八木岡聡さんとの出会い

想いを綴った原稿用紙10枚を八木岡さんに送ったんです

――なぜそれほど東京行きにこだわったのですか?

もともとミーハーで東京に行きたいと思っていたんですが、ある雑誌の記事で「DaB」の創設者である八木岡聡さんのことを知ったんです。当時は美容業界に入ってまだ3年くらいだったので、八木岡さんが「SHIMA」を一大ブランドに築き上げた立役者だなんて知りませんでした。その記事には、八木岡さんがSHIMAを辞めてフリーランスでパリに渡っていることが書いてあって、知識のなかった僕はその意味がよくわからなかったんです。でも、旅先で一人佇んでいる八木岡さんの姿に何だか言葉にできない感情が溢れて、直感でこの人に会ってみたいなと思いました。

それで雑誌の編集部に電話をかけて、「八木岡さんの連絡先を教えてください!」って頼み込んだんです。もちろん断られましたけどね。でも、どうしても悶々とした気持ちが晴れなくて3日後にもう一度電話をかけたんです。同じ人が出て「またお前か」って反応をされたんですが、何とか電話を切らせないように粘ってね(笑)。あまりにも僕がしつこかったので上の方に代わってくれたんですよ。「僕の気持ちだけでも八木岡さんに伝えてくれませんか」とお願いをしたら、「私宛に送ってくれたら、八木岡さんが帰国したときに本人に渡しますよ」と言ってくれて。

――すごい! 粘り勝ちですね!

さっそく気持ちを原稿用紙10枚くらいに綴り、他にもおしゃれを気取って段ボールにクレヨンで絵を描いたりしてね(笑)。履歴書と作品の写真も同封しました。小さい袋に入れたら捨てられるかもしれないと思って、一番大きな袋に入れて送ったんですよ。今思うと、よくあのクオリティで八木岡さんに見せられたよなぁと思いますよ(笑)。

でもその半年後、24時くらいに仕事から帰ると家の留守電に八木岡さんからメッセージが入っていたんですよ! もう嬉しすぎて深夜だったにも関わらず八木岡さんに電話しちゃったんです。それでも八木岡さんは色々と話を聞いてくれて「まずは福岡のSHIMAの店長に会って来たら?」と、どこの馬の骨とも知れない人間に自分の親しい後輩を紹介してくれたんです。すごく良い人だなと思いましたね。

――どうやって東京行きを実現したのですか?

その出来事から1年後、やっとスタイリスト手前まできたときに、八木岡さんから日本に戻るという連絡を受けて。それで、夏休みの3日間を利用して八木岡さんのいる代官山を初めて訪ねたんですよ。ちょうどそのときにDaB出店の打ち合わせをしていたみたいで、それを聞いて「自分も弟子入りさせてください!」とお願いしたら、「アシスタントからになるけど、その前に今いるサロンをきちんと円満に辞めてから来なさい」と言ってもらえたんです。

福岡に帰ってチーフにその話をしたところ、すごく怒っちゃって2週間も口を聞いてくれなかったんです。4年間も育ててくれたのだからそりゃそうですよね…。しばらくしてから「どうしても行きたいんだろう」と聞かれ、もう少し自分も気を遣えば良かったんだけど「はい!」って即答しちゃって(笑)。チーフが餞別として1万円をくれ、他の先輩たちは愛用のコームやブラシを譲ってくれ、それらを全部持っていよいよ東京に旅立ちました。そのときの餞別は今でも使わずにそのまま大切に持っていますよ。

物怖じしない度胸と素直さが人の縁をつくり、そうして出会った人たちのおかげでタイミングを間違わずに済んだのだとVANさんは言います。VANさんの勢いの良さには驚かされることばかりでしたが、ついに上京の夢が叶い、憧れの東京でどんな美容師生活を送ることになるのか。後編では、過酷な東京生活を経て、Cocoonの「親」となるまでの道のりを語っていただきます。

取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/石原麻里絵(fort)

Salon Data

Cocoon 表参道

住所:東京都渋谷区神宮前5-6-5 path omotesando A棟B1
TEL:03-5466-1366

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