縁が切れないお店に。それがCocoonという大家族 私の履歴書 Vol.28【Cocoon代表 VANさん】#2
美容業界の重鎮でありながら、気さく&ユニークな人柄で多くの人に愛されているVANさん。VANさんが代表を務める「Cocoon」は、表の顔は都会的でハイセンス。けれど一度訪れたことのある人は、「スタッフ同士の仲が良いアットホームなサロン」と評します。前編では、「いつもビリだった」というアシスタント時代のお話を伺いました。この後編では、前編を超える挫折話や、Cocoonへの想いをお届けします。VANさんが信条とする「誰も辞めないサロン」の本当の意味を知ることができました。
東京デビューとDaB時代
自分がなくなりそうなくらい演じていました
――念願が叶った東京のサロンはいかがでしたか?
RASHヘアーからTONY&GUYに移ったときよりもさらにギャップが大きかったですね…。今はさすがに違うけど、当時は八木岡さんがタバコを吸いながら、コーヒーを飲みながらお客さんとカウンセリングをしているもんだからびっくりしましたよ。アシスタントでさえ今まで出会った美容師たちとは全然違っていて、一見するとだらしないような立ち方すらスタイリッシュに見えたんです。これが都会か! ってね。お客さんの前でやる以上、それが様になっていないとダメなんですが、僕がやると様にならないんですよ(笑)。
――都会の洗礼を受けたのですね。
僕はやることなすこと全部がダサくて、あんなに怒られたことはないってくらい怒られました。でもね、八木岡さんに怒られることではなく、何をやってもダメなのが一番怖かったんです。スタイリッシュにはまらない自分が怖いの。当時、4畳半のアパートに住んでいて、布団から台所までたった3歩で行けるのに、出勤前になるとその3歩だけで吐きそうになっていました。しかも、「バンちゃん、この程度だったらここでやる意味ないよ。福岡に帰った方がそこそこ売れるんじゃない?」と言われる始末。でも、色々な人に後押しをしてもらってここまで来たのだから、認めてもらうまで絶対に辞められないと思っていましたね。
――何がターニングポイントになったのですか?
抜本的に変えるために地元の友人や親との連絡を一切絶ったんです。要は自分に都合の良い領域と決別して、とにかく八木岡さんに染まろうと思って。自分がなくなりそうなくらいにね。そのおかげで東京の阿吽を身につけられた気がします。長く東京に住んでいるだけでそれが分かるわけではないですからね。DaBでは結局2年くらい勤めたのですが、立ち方・食べ方・飲み方…全部が変わりました。それまでの自分を変えるためにずっと演じていたんですね、きっと…。
――演じていた、というのが痛々しいですね…。ちなみに技術面ではどうだったのでしょうか?
相変わらず後輩が先にスタイリストになっていく、という感じ。本当こういうのばっかりですよ、僕。社会に出るとどんどん抜かれて、今思うとその瞬間、瞬間の勝ち負けって大したことではないけれど、その頃は落ち込みましたね。でもね、八木岡さんやその後に出会う山下さんをはじめ、落ち込んだときに支えてくれて、大事なことを示してくれる人が必ずいたんですよ。そういう縁があることが僕の才能だったのかもね。
DaBは自分が思い描いていた通りの都会のサロンだったけれど、同時にそれまでの自分ではそこではやっていけないという現実を目の当たりにしました。自分という素材のままでは東京にはまらないということを知ったんです。気づけばスマートに演じていたのかもしれませんが、八木岡さんに「だいぶ変わったね」と言われたときに、何かが切れてしまいました。
山下浩二さんとの出会い〜ノンブローカットの誕生
お客さんありきで考えることがデザインだと気づいたんです
――DaBのあとはHEARTSに移られたんですよね。
たまたま雑誌でHEARTS代表の山下浩二さんの記事を見かけたんです。他の美容師たちがすました顔でカッコ良く写っている写真に対し、山下さんだけが全くカッコつけてない、屈託のないグシャグシャの笑顔で写っていたんですよ。当時はまだHEARTSが今ほど有名ではなかったんですが、山下さんのその笑顔を見て、またしても直感が働いたんです。運よく採用してもらい、結局それから12年間お世話になるわけです。
――VANさんの技術の根本は山下さんから教わったのですか?
技術のマインドは全て山下さんに叩き込んでもらいました。山下さん無くしては間違いなく今の自分はいなかったですね。山下さんの指導方法はそれまでのダメダメな僕を否定するものではなく、プロとしての「当たり前」をきちんと己の背中で示してくれる方で。とはいえ、山下さんも簡単に褒めたりしない人でしたけどね(笑)。でもね、やっぱり山下さんに「褒められたい…!」そう思うと不思議と頑張れたんです。
それまでも素晴らしい方々にたくさんのことを教わってきたけれど、やっぱりこの順番で出会えて良かったんだと思います。山下さんのあとに八木岡さんに出会っていてもダメだったんです。八木岡さんが自分のメンタルを鍛え上げてくれて、「OK」のボーダーラインを何となく決めていた自分を叩き壊してくれたから、山下さんの本物の技術と美容師としての在り方を感じることができたんだと思います。大人にしてくれたのが八木岡さん、美容師にしてくれたのが山下さん。二人の天才のもとで修行できたことはすごく運が良かったと思いますね。
HEARTSに入社して1年半後、ようやく8年間のアシスタント時代が終わり、スタイリストとしてデビューすることができました。
――スタイリストになられてから大変だったことはありますか?
1年で売上が月200万までいったのですが、そこでピタッと止まってしまったんです。HEARTSの新ブランド「Double」がオープンしてそっちに異動したんですが、カット単価が500円上がったにも関わらず僕の売上は変化なし。ということはむしろ売上が下がったというわけ。そこから4年半はずっとビタ止まりしたままでした。
――リピーターがつかなかったということでしょうか?
そうなんです。正直、アシスタント時代よりその頃の方が辛かったですよ。もちろん山下さんや先輩達もたくさんの助言はしてくれましたが、やっぱりお客さんと相対するのは自分なので、自分でどうにかするしかなかったんです。お客様と終わるか続きがあるかの二択しかない状況で4年半を過ごしていたんですよ。服装を変えてみたり、話し方を変えてみたり、あえて反対のことをして見繕ってみるんですが、からっきしダメで…。
――どのようにして抜け出すことができたのですか?
逃げのように他の部分に目を向けていましたが、結局はカットが下手なんだと思ったんです。お客さんが重なるとすぐに詰まってしまうのも全てはカットに問題があるのだと。それに気づいてからは自分の仕事を変えるために死に物狂いで練習しました。アシスタントと同じように毎朝練習しているから、周りから「何やってるの?」って言われたこともありました(笑)。
――そこでノンブローカットが生まれたのですか?
以前は「こういう形が流行っている」「このデザインが良いんだ」という風に、自分で形を作り出すことがデザインだと思っていたんです。でもそれはサロンワークとしては勘違い。「お客さんが自分でセットできないヘアスタイルの何がデザインなんだ」ということに気づいて、ゼロの基準をお客さんにおくことにしたんです。カットは自分しかやらないけれど、毎日のブローやスタイリングはお客さんがやることだから、「本人ができないことはやらない」という仕事にシフトしました。それまでお店のテイストやデザインに倣ってきた僕にとって初めて自分で解釈したスタイルが「ノンブローカット」だったんです。それが美容師としてのターニングポイントになりました。
そこからは売上がグンと伸びて、Doubleで何か一つでも1位になりたいという欲が出てくるようになりました。Doubleはすごいクリエイターが集まっているサロンだったので売上が絶対基準ではなかったけれど、自分で決めたことは成し得るということにこだわっていたんです。成し得ないで辞めたらゼロに戻ってしまうからね。今の若い人にも伝えたいですよ。今より以上の自分は何か一つでも成し遂げた先にあるってこと。古い考えに聞こえるかもしれないけれど、それは今も昔も変わらないことだから…。
32歳の頃に独立を考えはじめるようになり、36歳で独立し、「Cocoon」を立ち上げました。
独立とCocoonの誕生
大家族をつくりたいんです
――独立後、どのようなサロンをつくりたいと考えていたのですか?
目指したのはポピュラリティーのてっぺん。2:6:2の「6」のゾーンの一番を目指そう! と。そして何よりも、人が辞めないサロンにしたかったんです。今年でCocoon も12年目になるので、もちろん「辞めない」ことが大義名分では青臭いというのもわかっているつもりです。
スタッフの数が増えた今、自分自身が昔ほどスタッフ全員との意思疎通が取れなくなっているんじゃないかと最近思うんです。SAKURAや泰斗をはじめ、中堅のスタッフも育ってくれたことで、自分が直接指導しない世代のスタッフが増えていく。だからこそ、中堅スタッフを介して下の子たちに伝えていくことの難しさを肌身に感じています。教育以前に、伝えること・繋ぐことのハードルが上がった気がします。
――Cocoonでスタッフを束ねる立場となって大変だったことはありますか?
コロナ渦の今がこれまでで一番辛いですね。自粛期間もあって、一人で考える時間だけが増えたために、良くも悪くも自分を見つめ直しますよね。現状上手くいっていない場合、美容師という仕事に疑問を持ってしまう子だっています。同じ窯の飯を食ってきたスタッフが何かを見失いそうにしているのに、それを軌道修正できるだけの力や、自分が見てきた山下さんのような強い背中になれていないのが歯痒くて…。スタッフの誰にも辞めてほしくないという自分の気持ちと、「ここにいれば大丈夫だよ」と安心させるべき現実との葛藤が辛いですね。
――銀座店を今年オープンされましたが、今後Cocoonをどのようなサロンにしていきたいですか?
幼稚な言い方かもしれないけれど、大家族をつくりたいんです。店舗数を増やしたいとか事業を拡大したいなんて一ミリも思っていません。スタッフが育って、Cocoonの中にたくさんの社長がいても良いんじゃないかとも思うんです。ロイヤリティや名前貸しとかそういう意味ではなくて、「Cocoon」という看板で美容師をやっていきたいというスタッフがたくさんいてくれて、暖簾を分けていけたら嬉しい。だから、その看板を守るだけの価値があるお店にしないとダメだし、みんなの力でその価値をつくっていきたいですね。
――それがVANさんがたどり着いたサロンの形なのですね。
自分は縁でこれまで繋いでもらったんです。だから、月並みな表現ですが、Cocoonのみんなとも縁でつながっていたいんです。「人が辞めないサロン」というのは、ブランド力ではなくて、縁が切れることが寂しいという気持ちが大前提。うちのスタッフを、今だけ羽振り良くして使い捨ての美容師にすることは絶対にしません。今の世の中、目先の結果だけを急ぐ美容師が増えているから僕の考えは難しく聞こえるかもしれないけれど、生涯美容師でいられる本質を持ったスターがたくさん生まれるお店にしたいと思っています。
理想の形はピラミッド型ではなく台形型です。まだ少し実力差はあるけれど、その実力差は反面孤独にもなりかねません。僕、今はもう小学生の頃のような目立ちたがり屋ではないので…(笑)、一人ぼっちでトップにいるのは嫌なんですよ。だからSAKURAや泰斗、それに続くスタッフが早く並んでくれるのを待っています。頑張ろう!!
VANさんの成功の秘訣
1.知識がないことを隠さず、素直に頼る
2.自分で決めた一つのことを自分一人の都合で諦めない
3.人との縁を大切にする
▽前編はこちら▽
タイミングと縁を掴む才能に恵まれていました。私の履歴書 Vol.28【Cocoon代表 VANさん】#1>>
取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/石原麻里絵(fort)