美容知識のないまま21歳でサロンを開設。30代で経営と人材育成に専念【(株)KAIKA 代表取締役 HAZUKIさん】#1
さらなる高みを目指して「独立」を考えている人も多いのでは。本企画はいち早く目標を達成した先輩たちの経験談をご紹介します。今回お話しを伺ったのは、30年ほど前に長崎市出島にエステティックサロンをオープンさせ、2007年には腸内美容をコンセプトにした健康美容メーカー『(株)KAIKA』を設立したHAZUKIさん。エステティックサロンの経営、サロンで使用する化粧品や美容機器の開発など、その活動はその活動は多岐にわたっています。
前編では、HAZUKIさんがエステティシャンとして美容の世界へ踏み出したきっかけや、初めてのサロン運営でぶち当たった壁をいかに乗り越えたのかをお話しいただきます。
お話を伺ったのは…
(株)KAIKA
代表取締役 HAZUKIさん
1991年に長崎市出島にエステティックサロンを開設。大病をきっかけに腸内環境を整える健康食品と出会い、2007年には健康美容メーカー(株)KAIKAを設立。腸内美容®のための健康食品や美肌菌コスメを販売するほか、一般向け化粧品のOEMも請け負っている。来春には長崎市内に免疫アップ宿泊サロンのオープンを予定している。
下着の訪問販売からスタート。100名を超えた顧客のためにサロンを開設
――HAZUKIさんが起業したきっかけは何ですか?
私が二十歳の時、2歳年下の弟を事故で亡くしたんです。たった1回の人生なのだから、後悔のない満足した生き方をしよう!と決めました。それで、もともと興味のあった美容の世界に進んだんです。もうひとつの理由は両親。息子を亡くしたショックから家に籠もりっきりになり、弟が映っているビデオを何度も何度も見返しているんです。そこで、両親と何か一緒にできれば…と考えました。
――何から始めたんですか?
下着の訪問販売です。私が起業したとき、体型を整える補整下着が流行っていたんですよね。当時は1セット何十万円もして、高価な下着がほとんどでした。私の場合、両親が肌着の卸をしていたため1セット6万円とリーズナブルな価格で販売できました。売ったら終わりではなく、アフターフォローにも力を入れたんですよ。そのおかげで半年も経たないうちに顧客が100人を超えました。
――下着の訪問販売からエステティックサロンになったのは、どんなきっかけが?
顧客が100名を超えたところで、アフターフォローをするためのスペースとして事務所を借りたんです。下着の正しいつけ方や、痩せたい方には食事や運動の指導をしていました。接客をするうちに、お客さまから「マッサージの施術を受けたい」というリクエストがあったんです。
でも、私にはそんな技術はありませんから、リンパドレナージュができるマシンを入れました。大手のサロンでは施術1回につき1万円していたのを、アフターフォローという名目で1000円で。そうしたら、「友だちを連れてきたい」というお客さまが増えて、アフターフォローのはずがエステがメインになってしまったんです(笑)。
――エステティックの技術はどのタイミングで学んだんですか?
最初はリンパドレナージュのボディケアだけで、皆さん満足なさっていました。でも、そのうちに「フェイシャルの施術も受けたい」という方が現れて…。働きながら日本エステティック協会のスクールで学びました。まだ体力のある20代でしたから、無理が利いたんでしょうね。今ならできませんね(笑)。
エステティックのマッサージは奥が深いんです。講習会でも学校でも教えてくれるのは基本だけ。そこから自分で深掘りして「こうやったらもっと効果が出るかも」と、いろいろ試しながらお客さまに施術していました。試行錯誤して施術をするうちに、お客さまの数がみるみる増えて、スタッフを抱えるほどになりました。
ピーク時には50人のスタッフを抱えるほど成長。それが逆に頭痛の種に…
――スタッフを雇うようになったのはいつ頃ですか?
サロンで施術を始めるようになってから間もなくですね。お客さまがどんどん増えていったので、ピーク時には50名ほどのスタッフを雇っていました。
――そんなに多くの求人をして、すぐ集まったんですか?
その当時はバブルが弾けたばかりの頃で、求人を出すとすぐに応募がありました。ただその頃は「自分がキレイになりたい」という軽い気持ちで応募する方が多くて、雇ったものの、人材的はちょっと…という方が多かったですね。
――人の数が多いと、管理するのも大変ですよね。
私は会社に勤めた経験もないうえに、20歳そこそこ。しかも1日中お客さまの施術にかかりっきりだったので、スタッフとうまくコミュニケーションが取れませんでした。美容の知識はもちろん、接客、アフターフォローなど、エステティシャンは覚えることがたくさんあります。ただ技術だけ教えればいいわけではありません。人材の育成には本当に苦労しました。能力の高いスタッフが辞めてしまったときは、食事が喉を通らないほど悩んだものです。
スタッフには大手のエステティックサロンから転職した人もいれば、私よりうんと年上の方もいました。私のことを「この人、何を言っているんだ!?」的な目で見ていたと思います。お客さまにどう接して欲しいのか、伝えたいことがたくさんあるのに、どうやって伝えればいいのかが分からなくて。思ったことを伝えるのは本当に難しいですね。
サロンの仕事が終わるのが10時とか11時。そこからスタッフたちと話し合う時間を取るようにしました。帰りの時間が遅くなるのでスタッフの親御さんたちが心配して、サロンに連絡がくることもあったんですよ。こっちの問題が解決したかと思ったら今度はあっち…という具合に、人数が多いと、本当に大変。本来ならお客さまに向けるべきエネルギーを、スタッフの問題に向けざるを得ませんでした。
――お客さまとスタッフの板挟みですね。
古くからいらしているお客さまはもちろん、私を指名してくださるお客さまがほとんどで、20代はがっつりエステティシャンとして仕事をしていました。でも、このままでは接客が疎かになるだけでなく、スタッフの力が伸ばせません。そこで方向転換をして、スタッフの力をしっかり伸ばしていこうと決心して、30歳でエステティシャンを引退しました。
――HAZUKIさんのお客さまはどうなりましたか?
残念ながら離れた方もいらっしゃいます。翌年の売上が1億円も下がったんですよ。経営を盛り返すためにも、スタッフ教育を徹底しました。技術的なこと、接客のことも大切ですが、いちばん重要なのがカウンセリングです。お客さまとの会話の中で、お客さまが何を求めているのかを、くみ取らなくてはいけません。教育するために1年かけてマニュアルを作りました。営業が始まる前にロールプレイを繰り返して、身につくように訓練しました。少しずつ効果が現れて、私がエステティシャンとしてサロンに出なくても売上が伸びていきました。
HAZUKIさん流! 起業を成功させるための3つの法則
1.自分の好きなことを仕事にすること
2.集客・技術・フォロー・管理を仕組み化すること
3.トラブルの解決策が見つかったら、中途半端にせず真剣に向き合う
補整下着の訪問販売から始まったHAZUKIさんの起業。さまざまなトラブルに見舞われたとはいえ、21歳という若さでエステティックサロンのオーナーとして大成功を収めました。
後編ではHAZUKIさんのライフワークにもなった美肌菌との出会い、優秀な人材を獲得するためのユニークなリクルート方法についてお話しを伺います。