第一志望のサロンに不合格。「そのときしかできない体験」を大切に、1年間の教員生活を経験「NERO HAIR AND LIFE STORE」松井隆人さん
2012年に渋谷でオープンし、現在は4店舗を展開する「NERO HAIR SALON」。そのなかの1店舗である「NERO HAIR AND LIFE STORE」に所属し、入社3年目を迎えるのがジュニアスタイリストの松井隆人さんです。
松井さんは美容専門学校在籍中の就活では、第一志望だったサロンに落ちてしまう経験をしています。2次募集に応募することも考えましたが、力を入れていたファッションショーの本番と日程が被っていたため、応募を断念。
その際、学校の先生から母校の教員を務めることを勧められたといいます。美容師として成功するため、そのときしかできない体験を何より大切にしてきたという松井さんに、当時を振り返っていただきました。
今回、お話を伺ったのは…
「NERO HAIR AND LIFE STORE」ジュニアスタイリスト
松井隆人さん
広島県出身。大阪の美容専門学校卒業後、美容専門学校の教員を1年間務める。その後、2021年に「NERO HAIR SALON」に入社。現在は「NERO HAIR AND LIFE STORE」所属のジュニアスタイリストとして、メンズ、レディースを問わず幅広いスタイルを手がける。
父の背中から学んだ、「経験と練習だけが自分を強くしてくれる」
――美容師になろうと思ったきっかけは?
僕が中学生のときにメンズサロンが流行しだして、周りの友人たちがヘアセットをしだしたんです。自分もやってみると、とても印象が変わることに驚いて。美容師の仕事って楽しそうだな、やってみたいなと思うようになりました。あとはあるメンズサロンへの憧れがあったのも大きかったです。高校卒業後に美容専門学校に入り、美容師の道に進むことにしました。
――美容専門学校時代に印象に残っていることはありますか?
学校内のコンテストや、外部のヘアアレンジイベントに参加したりして、何事にも挑戦することを大切にしていました。美容師は経験がすべての職種だと考えていたので、何事にも飛び込んでいくのがとても大切だと思っていたんです。
とくに2年生の夏に行われたファッションショーは強く印象に残っています。20人くらいのチーム編成で、3ヶ月くらいかけてファッション、ヘア、メイクとすべてを自分たちで作りあげて、5分くらいのショーを行うというものでした。準備期間中は徹夜をしたり、スタジオに泊まり込んでみんなでショーの練習をしたり。いろいろもめたりもしましたが、自分のなかでは美容学生時代の一番の財産だと思っています。準優勝という結果も残すことができました。
――ファッションショーの経験を通して、どんなことを学びましたか?
僕はサブリーダー的なポジションだったので、周りの人とコミュニケーションをとる能力が少しは磨かれたかもしれません。20人もメンバーがいると、全員が同じ熱量ではないことも多かったんですよね。でもそんなときでもメンバーとコミュニケーションをきちんととっていれば、引っ張っていくこともできると学びました。
――ちなみに、美容学生時代に技術面などで、難しさを感じたことはありましたか?
それはあまり感じなかったです。技術が簡単だと感じたわけではなくて、父親が防水工事の会社を経営している職人だったこともあり、覚悟ができていたからかもしれません。技術を高めていくためには、当然練習をしっかりしないといけないということが分かっていたので。
周りを見ていても、キラキラしたイメージだけを持っている人は学校を途中で辞めてしまったり、美容師になっても仕事を続けられない人が多かったりする印象でした。僕は技術職で成功するために必要な要素が、父からの影響で分かっていた気がします。
美容師としてスキルアップするなら東京がベスト
――就活を意識しだしたのはいつ頃でしたか?
1年生の10月頃だったと思います。まずはサロンについて知ろうと思い、SNSを使って調べ始めました。僕は広島県出身で大阪の美容専門学校に通っていたのですが、東京で就職することを決めていたので、東京にしぼってサロン選びをしていました。
――なぜ東京のサロンに決めていたのですか?
僕のイメージでしかなかったのですが、最先端の技術を身につけられると思いましたし、美容業界以外でも流行の発信は東京から行われていると感じていたからです。美容師としてスキルアップするのであれば東京の方がいいと思っていました。
その後、気になるサロンを回ることにしたのですが、ちょうど1年生の11月頃に学校行事で東京研修というものがありました。いくつかコースがあって、美容師さんのセミナーを受けたり、インターンを経験したり、接客を学ぶためにディズニーランドに行ったりできる仕組みだったのですが、僕は空き時間を使って気になっていた東京のサロンをいくつか回ったんです。僕が美容師を目指すきっかけにもなった有名メンズサロンも見学に行きました。
振り出しに戻ってしまった就職活動。異例だった教員への抜擢
――それで、憧れていたメンズサロンに応募されたのですか?
結局、応募はしませんでした。2年生になった4月にコロナ禍になって学校が2ヶ月ほど休校になったタイミングがあったのですが、改めて今後の方向性について考えてみたんです。憧れていたサロンに行って気付いたのですが、そのサロンは男性に限られているだけでなく、訪れる客層がかなり若い世代が中心でした。長く美容師を続けていくのであれば、メンズサロンに絞らずにレディースも担当でき、さらにお客様の年齢層も幅広いほうがいいかもしれないと思うようになったんです。
――ではそこから、別のサロンに応募されたのですか?
表参道に店舗のある有名サロンに応募し、最終選考まで残ったのですが、そこで落ちてしまって。そのサロンに何度も通っていてスタッフの方ととても仲良くなっていたのですが、おそらくサロンワーク試験の際にも親しみを持って接してしまい、それがよくなかったのかなと分析しています。
正直、そのサロンに受かると思っていたので、ほかの選択肢をまったく考えてなかったですね。落ちてしまったサロンは10月に2次募集をかけるということだったので、そこで応募をしてもよかったのですが、さっきお話ししたファッションショーの本番と2次募集の面接のタイミングが被ってしまっていたんです。
就活はもちろん大切なのですが、僕はファッションショーを今しかできないこと、絶対参加したいことだと思っていたので、2次募集に応募するのは諦めることにしました。そのときに美容専門学校の先生から、教員をやってみないかと打診を受けたんです。
――教員に!すごいですね。
人に教えること自体に興味があったわけではないのですが、1年という期限つきでしたし、今しかできない体験だと思って受けることにしました。本来、教員になるには2年間の美容師経験が必要らしいのですが、専門学校時代の姿勢を見て声をかけてくれたようです。カットは経験が少なく教えることはできませんでしたが、それ以外のワインディングや座学などはすべて担当していました。
――教員生活で得たことは?
自分の見られ方というのをより意識し、言葉に慎重になったかもしれません。自分が発した何気ないひと言が、生徒にはものすごく印象に残っていて、「あのとき、こう言ってましたよね?」と指摘される経験を何度かしていて。教えることの責任感、難しさを痛感した1年だったと思います。
松井さんが充実した美容学生時代を過ごした、3つのポイント
1.美容師という自分が本当に楽しめる世界に飛び込んだ
2.父親の背中を見て、技術職で成功するには経験と練習が大切だと分かっていた
3.ファッションショーなどさまざまな経験を通して、常に自分を成長させていた
後編では、松井さんが「NERO HAIR SALON」に応募した際の経験について伺います。松井さんが何より意識していたのは、面接での見られ方。回答を丸暗記するのではなく、抑揚をつけたり、ポイントを大きな声で伝えたりと工夫することを大切にしたといいます。後編もお楽しみに!