ポジティブな経験もネガティブな経験も重ねた今が、ターニングポイント【cue 代表 蓑田朝菜さん】#1
大手サロン「LIPPS」で美容師として活躍し、エグゼクティブディレクターを務めていた蓑田朝菜さん。おしゃれなレディースヘアから色っぽさのあるメンズヘアまで多彩なデザインを提案し、幅広い層に支持されています。「もともと独立願望はなかった」という蓑田さんですが、LIPPSの応援を受ける形で2024年1月に独立し、銀座に「cue」をオープンしました。
前編では、美容師の道を選んだきっかけや、約18年勤めたLIPPSでの経験、独立の経緯などをお聞きします。
お話を伺ったのは…
cue 代表 蓑田朝菜さん
日本美容専門学校卒業後、2005年LIPPS入社。4年目にスタイリストデビューし、28歳の時に表参道の副店長・店長を務める。29歳で銀座店に移動し、店長から代表に就任。その後、Ray GINZA店と吉祥寺ナカミチサイド店の店舗マネージメントを任される。2024年1月6日にcueをオープン。髪のエイジングケアや白髪ぼかしカラー、小顔カットなどの技術に基づく「エイジレスヘア」を打ち出している。
MINODA’S PROFILE
- お名前
- 蓑田朝菜
- 出身地
- 東京都
- 出身学校
- 日本美容専門学校
- 憧れの人
- ヘアサロン「boy」の茂木正行さん
- 趣味・ハマっていること
- バレエ、ピアノ、ダンス
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 道具よりも材料にこだわり、お客様に喜んでいただけるケア剤や薬剤をサロンに導入。
自分にとって楽しいことを仕事にしたいと、美容師の道へ
――蓑田さんが美容師になろうと思ったきっかけは何ですか。
高校時代はすごく勉強を頑張っていて、成績も学年で一番を取るほど良かったのですが、実は勉強が全然おもしろくなかったんです。自分が好きなことを学ぶのは楽しいのに、国語・数学・理科・社会がつまらなくて。
その頃、私にとって楽しい場所といえば美容室でした。2週間に1回くらいの頻度でカラーをしに行き、バイト代のほとんどを髪の毛につぎ込んでいましたね。担当の美容師さんに進路を相談したら「美容師っぽい」と言われ、職業として意識するようになり、そこから仕事内容に嫌なことがひとつもないことに気づいたんです。
美容師になると決めてから、まず進路指導の先生に「イケてる美容学校はどこですか」って聞きました(笑)。勧められた学校のうち、当時憧れていた有名美容師さんの出身校であり、自由な校風も魅力だった日美(日本美容専門学校)を受験しました。
――美容学校時代の思い出や、就職活動について教えてください。
美容学校の先輩方が本当にかっこよかったんですよ。自分達でヘアショーを企画して1年生の歓迎会をやってくれたり、新宿のクラブを貸し切って学校のイベントをしたり。私は当時、とにかく白いものに囲まれて生きていたいという感覚に目覚めて、洋服も全部白くして、髪の毛も真っ白にして、部屋の家具をペンキで白く塗って…。今思えば若気の至りですが、そんな私の独特な格好が先輩方のイメージするヘアショーのモデルにぴったりだったらしく、ランウェイを歩かせてもらったことがあります。
ある時、先輩に「あなたにはboyという美容室がマッチすると思う」と言われ、行ってみたらすごくエネルギッシュで、作るデザインもかっこよくて。もうすっかり、この美容室で働きたいと思いながら通っていました。面接を受けたものの、落ちてしまったんですけど。
その後、LIPPSが二次募集をしていたので試験を受けました。そこで初めて自分を客観視して、私の売りって何だろうと考えてアピールしたのが、「私が入社したら、とにかく辞めないです!」ということでした。
――辞めない自信の根拠は何だったのでしょう。
子供の頃から、習い事などすべて「やめる」という価値観がなかったんですよ。いったん始めたものはずっと続ける。親の教育方針だったのかな?
後でLIPPSの上司に聞いたところによれば、「この子はちょっと変だけど、辞めないという意志が強いし、美容学校の成績もいいし、大丈夫でしょう」という理由で採用してくれたらしいです。
真面目で熱い先輩たちのもと、経験を積む
――LIPPSは蓑田さんにとってどんなサロンでしたか。
最後まですごく楽しかったので、自分に合っていたんだなと思います。そして上司や先輩がとにかく素敵でした。私が入社当初、バリバリ活躍していた先輩方がとても輝いていて、皆さん厳しくも真面目で、そのエネルギーに触れることができたのはとても良い経験でした。泥臭く頑張ることがかっこいいし、自分自身もそうやって生きていきたいと感じるようになったんです。
――どんなアシスタント時代を過ごしましたか。
メイクチームに参加していたので、矢崎さん(LIPPS academyの矢崎由二さん)をはじめ、先輩方の撮影現場に連れて行ってもらうことが多かったんですね。撮影は朝早いので大変でしたし、何度も怒られましたし、体力の限界との天秤にかけながら必死でついて行ったことを覚えています。
――貴重な経験ができるとはいえ、相当ハードでしたよね。
撮影が入っている日はサロンに朝4時に行って準備をして、撮影後は営業で、夜12時半とか1時に仕事が終わる。漫画喫茶に泊まって、翌朝また撮影に行く…。そんな日が続き、とうとう「なんで私ばっかりなんですか」と文句を言ったこともあります。
私は実家や祖母の家が都内にあったという点で恵まれていて、体力・気力・金銭的に少しの余裕があったからメイクもやってみようかという気持ちになれました。でも一人暮らしだったら、なかなか難しいですよね。だからメイクチームの人数が全然足りていなかったんです。
――スタイリストになってからもますます、外部撮影で活躍されていましたよね。印象に残っていることはありますか。
段取りがたくさんある長時間の撮影の時に、私の言動でライターさんを困らせてしまったような気がして、すごく申し訳ないと思ったことがあります。記憶からちょっと消している部分があるので、うろ覚えなのですが。
――逆に、「これは大成功」という経験は?
撮影で「大成功」っていうのはないんですよね。もちろん、自分の作ったヘアスタイルが現場で認められたり、紙面で大きいページに載ったりすれば嬉しさはあります。
本当に高いクオリティーで革新的なスタイルを作りつつも、そこに満足せずにさらにクオリティーにこだわり続ける先輩たちの下で育ってきたので、私も自然とそういうマインドを受け継いでいるのかもしれません。
銀座にcueをオープンし、新たなスタートを切る
――独立を考えたきっかけは何ですか。
もともと独立願望はありませんでした。ただ、会社がメンズ主体のコンセプトに舵を切ったことで、独立を考えるようになったんです。それがなければ、きっと今でも辞めていないと思います。
他にも、新型コロナウイルスの流行があり、それを機にフリーランス美容師やシェアサロンが一気に増えるなど美容業界にも変化が生じました。後輩世代の生き方に対する理想とのギャップを感じるようになったり、さまざまな事柄が重なったタイミングでもありました。
それで、会社といろいろな話し合いを重ねて、独立することになりました。
――独立して銀座に「cue」をオープンしたわけですが、店名はどのようにつけたのですか。
短い言葉で、覚えやすくて、検索で引っかかりやすいというのを意識して考えました。「あ行」から順に思いつく単語を口に出していって、「か行」で「cue」が出てきたんですね。「キュー」という響きが気に入ったのと、銀座という言葉と並べておかしくないというのもポイントで、決めました。
「きっかけ」「ヒント」「合図」といった意味を持つ言葉なので、自分の美容師としてのスタンスにもマッチしていると思いました。お客さまに「こんなものがあるんですよ」「実はこういうものも似合いますよ」と、キレイになるきっかけやヒントを美容師として伝えたいというのが私のモットーです。
――お店のコンセプトを教えてください。
「お客様がトレンドを楽しみながらも、エイジングにとらわれることなく美しさを保つための手助けをするサロン」です。
私の顧客は30歳前後の大人の女性をメインに、20〜70代の方がいらっしゃいます。男女の割合は半々ぐらい。なので、例えば若い男の子をターゲットにしている店とは、教育や方針、サービスなどすべて、必然的に変わってきます。自分のお客様に合うものは何かと考えた時、トレンドはもちろんエイジングケアもマスト。そういう自然な流れでコンセプトを設定しました。
尊敬する上司や先輩の姿に学びながら体力勝負のアシスタント時代を過ごし、やがて自身もサロンワークや外部撮影などで活躍する人気美容師となった蓑田さん。会社の方向性の変更や美容業界の変化などを理由に独立を決意し、「cue」のオーナースタイリストになりました。
後編では、サロン作りのこだわりや、大型店と小規模店の違い、cueのスタートとともに打ち出した「エイジレスヘア」についてお話を伺います。
撮影/高嶋佳代
取材・文/井上菜々子