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北原義紀 interview:理容師の他に道はなかった! 美容師最高! 理容師最高!

「その女性の個性を絶妙に引き出す」と、サロンはもちろん、ショーや雑誌撮影などで大人気の北原さん。しかし、美容業界デビュー時は『角刈り(!)の得意な床屋さん」だったそう。理容師として順風満帆だった北原さんの転機はどこにあったのか。様々な経験をした今だからこそ語れる、仕事への想いをお伺いしました。

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優等生から一転、不登校に!

北原 義紀さん

「僕、実家が床屋で父親が理容師だったんです。高校生の頃は本当にチャラチャラしていて、全然勉強もしてなくて、なんかもう、将来の道はこれしかないかなって思ってました。いわゆる逃げ道みたいに思ってた部分もあったんだと思います。

理容師の専門学校へ行ったんですが、最初はよかったんですよ。実家でバイトをしていたから手慣れてて、カットもワインディングもできて、クラスのみんなに教えたりなんかもして。学校では『すごい子が入ってきた』って話題になるくらいエリートだったんです(笑)。でも、夏くらいから夜にバーテンのバイトを初めて、そしたらそっちが楽しくなっちゃって、朝起きられなくて学校に行かなくなっちゃって、典型的なダメ学生に(笑)!

卒業式には出させてもらったんですけど卒業証書がもらえなくて、ずっと学校の掃除をやらされて、3月31日にやっと卒業証書がもらえました。その翌日、東京へ行ったんです」

チャラい学生、仕事の厳しさを知る。

「東京にはずっと行きたかったんですが、ツテがなかった。そんな時、たまたま理容師の講習会に父が行っていて、セミナーをやっていた方に『ウチの息子を預かってください』って修業先を決めてきちゃったんです。僕は東京に行ければいいかっていう軽い気持ちで、そこに体験入社をしたんです。

いざ行ってみると、そこは『ザ・床屋』! 従業員は白衣着て、刈り上げの練習のためにみんな刈り上がってて。僕ときたら、ロン毛でヴィトンのバッグを持ってて、完全に浮いてました(笑)。

でも、見ていたら凄かったんです。仕事に対する取り組み方が全く違っていた。8畳くらいの部屋に2段ベッドを3つ置いてそこで寝泊まりして、朝7時から掃除して、夜は店が終わったら練習して、銭湯が閉まるギリギリに入浴しに行って、2時ごろ寝る。みんな僕と同じくらいの歳なのに、あの厳しさの中で正しく働けているってことが本当に衝撃だったんです。チャラい学生だった僕が、そこで初めて『仕事ってこういうことなんだ』と、感じたんですね。

すごい環境でしたが、他の店だったら5~10年かかるはずの技術を3年で習得しましたから、あの店でなかったら今の自分はなかったですね」

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理容師が面白くなった時、美容師に興味が

北原 義紀さん

「自分は器用な方だと思ってたけど、実際に働いてみたら全然ダメでした。同期にはどんどんお客さんがついて、僕はタオル洗いばっかり。辛かったですねぇ。辞めちゃおうとか帰りたいとか何度も思いました。そこで耐えられたのは、ここで負けられないって思いと、同期や先輩方の支えがあったからです。それは感謝してもしきれないですね。

で、コツコツ基礎練習を続けていると、次第にコンテストで勝ち始めたんです。結果が出ると『あいつ、ダメだったけどやるじゃん』って周りが認めてくれる。そうなると俄然面白くなってきますよね。努力したら結果が出るということを、自分の体験を通して気付くことができたっていうのが、頑張れた理由かもしれないですね。

結果4年目で店長になり、床屋技術でいちばん難しいとされる角刈りの日本チャンピオンになりました。その頃はどの大会に出ても必ず入賞するくらいにはなっていました。そしてちょうど同じ頃、有名美容師がTVに出たりし始め、ヘアカタログ誌も増えてきた。けどメンズヘアカタログの中に出ている床屋さんはいなかったんです。全員美容師さん。そこで、理容師と美容師の差ってなんだろう、と意識しだしたんです」

イギリスから就職活動を!

「僕ら理容師は技術的には自信があるのに、お客さんから支持されない。同じスタイルを作っても、なんか硬い・なんかダサい。それはなぜだろう? って考えて、次は美容師の世界で認められたいと思いました。それが転機ですね。

師匠に伝えたら快く送り出してくれ、理容師の海外ツアーへ行かせてもらいました。でも参加者が他にいなくて、結局、僕一人で行くことに! 英語なんてカタコトしかできないのにガイドもつかなくて、なのに師匠が業界誌に連絡しちゃって海外理容室レポートみたいな記事を書く羽目になり、異国の地で知らない美容室に突撃インタビューみたいな! もうね、辛くて辛くて、最終日、明日は帰れると思って泣きましたよ(笑)。それが、修業時代何よりも辛かった思い出です。

で、珍道中の果てに帰国したはいいけど就職が決まらない! どうしようって悩んでいたら海外を勧めてくれた人がいて、えいやっとイギリス留学を決めました。日本で働くならここだ! と決めていた美容室があったので、留学の終盤イギリスから就職活動をしました。サロンへ直接電話してオーナーを呼び出し、熱い思いを語ったら、帰国後にテストを受けさせてくれて、採用が決まったのです」

昔思い描いていた自分に、今なっているか?

北原 義紀さん

「理容室では店長までやったのに、美容室に入ったらまた一からやり直し。やっぱり辛かったけど、留学で培った英語と床屋で培ったメンズヘアの技術。他のスタッフにはないものを二つ持っていたので、すぐにお客さんが増えていきましたね。

転職をしたいと思う時って、嫌だから辞める人と、何か新しいことにチャレンジしたくて辞める人がいると思いますが、その理由に向き合うことって大事ですね。辞めるってことも勇気です。けど、それが『チャレンジ』という名をつけた逃げではないか、よく考えてみるといいです。

僕はもう40代ですけど、50代になったら『40歳の頃の俺は青かったなあ』って言うと思います(笑)。昔の理想の自分に、今なっているか。そうやって向き合うことで、悩みの根本がどこにあるのか、見えてくると思いますよ」

美容師の『成功』とは

「念願の美容師として独立してもやはり自分自身の葛藤はあって、理想と現実は違ったり、そもそも自分の思い描いていたものが正しかったのかどうかも分からなくなっていました。それでも少しずつ、コンテストに出ていた自分を思い出して作品づくりなんかをしていくうちに、雑誌に呼ばれるようになり、そこそこ成功したと言えるんじゃないか…と思い始めた頃、突然、父親が他界したんです。

『なんだか体調が悪い』と言い始めて3ヵ月後の急逝。本当に突然でした。振り返ってみると、僕がこの仕事を始めようと思ったのも、東京に出られたのも父がいたからで。最期の1ヵ月はずっと病院に行って、父の髪も僕が切ってたんですよ。

『髪を切ってもらうって、本当に気持ちがいいなあ』。それが、僕が聞いた父の最期の言葉でした。父は本当に破天荒な人で、家族にとっては大変な人でしたが、『成功ってこういうことか』と思いました。自分の腕で家族を養い、子供を育て上げ、あなたの息子で良かった、あなたと知り合えて良かった、という人たちに囲まれる。それは、素晴らしい成功じゃないですか。その後、東京に戻ったのですが、空虚感の中でしばらくフワフワしていました」

フィリピンで、子どもたちに笑顔を

北原 義紀さん

「そんなメンタルがボロボロの時、フィリピンでボランティア活動をしていたNPOの代表の方と偶然知り合ったんです。あのタイミングじゃなかったら、『ふーん、すごい人がいるなあ』で終わってたかもしれないんですけど、何か人のためになることをしたいって思えた時期だったんですね。すぐにフィリピンに行って、施設や学校、村なんかを回って、施設に泊ったりして髪を切って。

みんな、プロの美容師に髪を切ってもらうことが初めての子どもたちで、すごく喜ばれました。嬉しかったですねえ! 髪を切ることしかできないと思っていたけど、髪を切ることができるってすごいことなんだ、こんなに喜んでもらえるんだ! って、自分もハッピーになったし。1年後に行った時には成人式のプレゼントをしたんですよ。洋服を借りて、スタイリストさんヘアメイクさんフォトグラファーさんを連れ、会場を借り、親族を100人くらい呼んで大パーティーをしたんですよ」

今日も繰り返す、『美容師最高!!』

「ボランティア活動をしていてすごく喜ばれるんですが、果たして続けることが本当にいいことなんだろうか? という葛藤がまた生まれました。持続すると慣れてきますよね。人は与え続けられると依存が生まれ、結局は自立できないんじゃないか、それじゃあ意味がないんじゃないかと考えました。そこで僕は美容学校『ハサミノチカラ アカデミー』を始めたんです。彼らが自らハサミを持って、髪を切る仕事ができるようになれば雇用が生まれ、やがて人に教えることができるようになれば教育が生まれます。そうなって初めて僕らが行った意味がある。

僕らは誰かに技術を教わった。教わったってことは、教えなくちゃいけない。働く意義って、お金のためだったり、人に喜びを与えることはもちろんあります。でもそれ以上に、自分が学んだことを未来へ伝えていくっていう使命があるんだと思います。

そういう意味でも、この仕事はすごくいい仕事ですよ。やればやるほど技術的にも人としても高められていく。その上『髪を作る』という形の中で人を作っていくんです。七五三、入学式、卒業式、初めて彼氏ができた時も、失恋した時も、結婚、出産、家族みんなの人生に寄り添っている。写真には、僕の作った髪がずっと残ってる。そんな仕事って他にないです。

僕はいろんなところで鬱陶しいくらい言っている言葉があって、今回も言いますよー。美容師最高! 理美容業は最高です!!(笑)」

Profile

北原 義紀さん

北原 義紀(きたはら よしのり)さん

美容室SORA代表

理容師時代、数々のコンクールを総ナメにし、その後渡英。帰国後美容師へ転向。現在サロンワーク・雑誌の撮影の他、専門学校講師、セミナー講師などマルチに活躍するトップスタイリスト。海外でのボランティア活動を通し、2013年にはフィリピンにて美容学校『ハサミノチカラアカデミー』を開設し、現地の青少年に日本の技術を教え将来の職につなげるプロジェクトを始めた。
都内に3店舗を展開する美容室SORA代表。

Company

sola

SORA

北原さんが代表を務める美容室。
広尾・麻布十番・学芸大学の3店舗を展開。
それぞれ、ゆったりとした空間の中で、上質なサービスを堪能できる。
WEBサイトにて、24時間予約受付も可能。
●麻布十番店:http://www.sora-style.com/#!/azabujyuban
●広尾店:http://www.sora-style.com/#!/hiroo
●学芸大学店:http://www.sora-style.com/

ecomismo

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ecomismo(エコミスモ)はお菓子の袋をリサイクルしたオリジナル商品。フィリピンのお母さんたちがひとつひとつ手作りしているので、あなたの選んだエコミスモは、世界にひとつだけ!軽くて丈夫で、なによりとってもカラフルで可愛いんです。
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詳しくはこちら「エコミスモ」:http://www.ecomismo.com/

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