トップスタイリストゆえのごう慢を反省。失って初めて分かった「本当にやりたいこと」 【(株)アンジー 代表 山口裕喜さん #1】
起業から5年後も営業を続けられているサロンは、なんと15%にまで減少。そんな厳しい現実をくぐり抜けてきた起業家たちの経験談を紹介する本企画。起業を目指している人、経営を軌道に乗せる方法を模索している人にエールを贈ります。
今回ご紹介するのは、2015年にICH・GO大山店の出店を皮切りにeMMa常盤台店など5店舗のサロンを経営する(株)アンジーの代表、山口裕喜さん。
前編では長年勤務していた大手サロンを離れ、ご自身がサロンのオーナーになるまでの葛藤について伺いました。
お話を伺ったのは…
(株)アンジー
代表 山口裕喜さん
2007年に東京ヘアメイク専門学校を卒業後、大手サロンに就職。2014年に離職し、スタイリストとして都内のサロンに転職する。2015年に独立を決意し、ICH・GO大山店のオーナーに。現在はサロンの運営に携わるほか、メイクアップアーティストの木下庸子氏に師事している。
離職のきっかけは年間6000人もの施術をした
トップスタイリストゆえのプライド!?
――サロンのオーナーになる前は何をしていらしたのですか?
専門学校を卒業してから大手サロンに就職して、1日だいたい40人くらいのお客さまを担当していました。サロンマネージメントに携わっていましたし、売上もそれなりに立てていたので、サロンにも会社にも貢献している自負がありました。
それで、社長と会長に「フランチャイズ1号店を出店して、その店を任せてもらえないか」と直談判しに行ったんです。そうしたら、「将来的にフランチャイズ展開を考えているけれど、予算の都合があるから2~3年待ってくれ」と言われてしまいました。で、僕は「待てません」と言って、会社を辞めてしまったんです(笑)。
――それは何歳の時ですか?
26歳です。その当時はプライドの塊で、イキがっていたんでしょうね。当時は月2日間の休みを取るくらいで、ずっとがむしゃらに働いていたこともあり、燃え尽きてしまった…というのもあります。
――大手サロンを辞めた後、すぐ転職したのですか?
僕にとって美容師は「それなりに稼ぐには仕事がきつい」というイメージがあったので、それなら「別の業種で自分の力を試すのもいいかな」と思って、他の仕事を探しました。とはいえ、美容の専門学校を卒業していても社会に通用する最終学歴は「高卒」になってしまうので、仕事が限られてしまうんですよね。
僕にできる仕事といえば営業職がほとんどで、しかも初任給は14万円ほど。以前は100万円を超える額の給料をもらっていたので、いきなり1割まで減ってしまうことになります。その当時すでに結婚していましたから、いろいろ考えて「やっぱり美容師しかない」と思い直して、2か月の求職期間を経て他のサロンに転職することに決めました。
高校生のときにアルバイトしていた美容室に
今度はスタイリストとして転職
――山口さんはもともと美容師になりたかったのですか?
実は美容師ではなく、ヘアメイクアップアーティストになるのが夢でした。小学生のころにパリやミラノのコレクションを特集している番組を観て、「これをやりたい!」と思うようになりました。
でも、まだその夢は漠然としていて、自分に向いているのかさえ分かりませんでした。
高校生になり、宅配や造園、工場、農業などいろいろなアルバイトを経験しましたが、どれもピンとこないものばかりでした。そんな中で「これだ!」と思ったのが、美容室でのアルバイトでした。お客さまがきれいになって、笑顔で帰っていく。目指すのはコレだと思いました。
――大手サロンを辞めた後、高校生時代にアルバイトしていたサロンに再就職したのですね。
求職している間にも、「メイクの仕事をしたいなら上海の事務所を紹介する」など、いろいろとオファーをいただいたのですが、妻から「日本を離れたくない」と言われてしまって。アルバイトをしていたサロンに採用が決まり、マネージメントも任せてもらいました。
――高校生時代に勤めていたとは言え、大手サロンとはまた勝手が違ったのでは?
この業界は体育会系で縦社会。バックヤードで泣いているスタッフを見かけることもありました。ずっとアシスタントをしているスタッフに、「どうしてスタイリストを目指さないの?」と聞いたら、「教えてくれる人がいない」って。上を目指したい人には、チャンスがないとモチベーションが上がらないですよね。
僕としてはみんなで切磋琢磨して結果を出す…そんなサロンをつくりたいと思っていました。
――そして、翌年に新しくサロンを出店されたのですね。フランチャイズの店舗を選んだのはどうしてですか?
以前、勤めていた大手サロンに勤めていたころからフランチャイズの店舗について研究していたので、そのメリットをよく理解していました。経営になれていなくても、資金が足りなくてもサポートが受けられるのは、やはり心強いですね。ビジネスモデルがあるので安心して始められました。
最初の店舗は4人でスタートし、
2021年までに5店舗をオープン
――最初の店を立ち上げたときはパートナーがいましたか?
以前、勤めていたサロンで同期だった友人と後輩、そして妻と僕の4人でICH・GO大山店を出店しました。実は妻も美容師で、僕と同期なんです。後輩はアシスタントのときから僕が面倒を見ていて、店を立ち上げるなら一緒に…と思って声をかけました。
――社員として働く立場と自分の店を持つことはやはり違いますか?
自分のやりたいことを実現するには、やはり自分の店でなくてはと思っています。僕がこだわっているのは地域密着型のサロンで、地元のお客さまのニーズに合わせたカットやカラーを提供すること。その中で自分や社員たちも成長できたら…と考えています。
――最初の店を立ち上げてから6年間で5店舗も出店…というのはすごいですね。
当初から5年のうちに3店舗つくることは計画していました。でも、4店舗目のemma上板橋店と、5店舗目emma常盤台店の出店は予想外の展開でした。
このコロナ禍で空き店舗が出てきて、僕のところに「出店しないか」という話をいただきました。すでにICHI・GO3店舗を軌道に乗せていたので、次に出店するなら新しいことをしたい、という思いもあったのでスタッフと相談をして、ICHI・GOとはコンセプトを変えて、ちょっと価格帯を上げたサロンを立ち上げることにしました。ロゴもデザイナーさんにお願いして作ってもらいました。細胞が分裂して新しい生命が誕生する様子をイメージしています。
独立するまでに準備しておきたい3つのポイント
1.フランチャイズ契約で出店するのであれば、事前に条件などを調べておく
2.どのような店づくりを目指すのか、ビジョンを明確にしておく
3.中長期の計画を立てて資金をプールしておく
大手サロンでキャリアをスタートさせ、いつの間にか「プライドの塊になってしまった」とおっしゃっていた山口さん。大手サロンを辞めて新たな仕事を探しているとき、そのプライドが大きく傷つけられ、自分の進むべき道が明確になったそうです。
後編では、順調に経営を軌道に乗せるための工夫、スタッフたちから慕われている理由などを探ります。
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