アイスホッケー、ネイリスト、ヘアメイクを経て、美容師に。カリスマ美容師・宮村浩気から学んだこと【「AFLOAT」プロデューサー兼業務執行役員・「AMA TOKYO」代表取締役 間嶋 崇裕さん】#1
5年の長い下積みを経て、最速・最年少で「AFLOAT」の役員に昇格し、さらに政府認定のカミカリスマの称号を手にした、間嶋 崇裕さん。美容師を目指す前は、アイスホッケー選手やネイリストなどさまざまな経験をしてきました。そんな間嶋さんが美容師を目指したきっかけや、トッププレイヤーとして活躍していた最中、プロデューサーに主軸をおいた経緯を探ります。
前編では、ネイリストやヘアメイク志望から美容師に転身したきっかけやカリスマ美容師の宮村さんのアシスタントで得た経験、プロデューサーを務めるまでの経緯をお聞きします。
MASHIMA’S PROFILE
- 出身地
- 香川県
- 年齢
- 30
- 憧れの人
- 宮村浩気
- プライベートの過ごし方
- ゴルフ、奥さんとお出かけ、犬とお出かけ
- 最近ハマっていること
- スタッフ育成、犬のトリミング
- 仕事へ込める気持ち
- 現状維持は衰退
カリスマ美容師・宮村浩気さんに憧れて目指した美容師
――美容師になるまでにさまざまな経験をしているようですね。美容師を目指すまでの経緯をお聞かせください。
高校に入学するまではアイスホッケーに取り組んでいたのですが、母親から「社会勉強もしておいた方がいいんじゃない?」と提案を受け、ネイリストをしていた兄の影響もあり、ネイルを始めることに。高校入学と同時にネイルスクールに通い、1級資格を取得後、兄の所属するサロンでネイリストとして働いていました。思えばこの頃、女性を綺麗にして感謝されることの嬉しさを覚えたと感じます。
高校卒業後の進路は、兄から一緒に売り出したいと言われましたが、このままネイリストを続けるのはなんか違うと感じて。ほかに女性を綺麗にできる仕事は何かと考え、ヘアメイクアップアーティストを思いついたんです。それから上京し、美容の専門学校に進学しました。
ところがある日、当時カリスマ美容師と言われていた「AFLOAT」代表の宮村浩気が講義に来たことがきっかけで、美容師へ進路変更することになったんです。
――宮村さんがきっかけだったのですね。どんなところに惹かれたのでしょう?
その頃の僕は、ロングヘアの女性が好きでした。でも、宮村が講義した内容はロングヘアの子をショートカットにするもの。最初は興味が湧かなかったのですが、カットの様子を見て衝撃を受けましたね。ショートヘアでもこんなに可愛くしてあげられるんだと。それまで僕はロングヘアが好きでしたが、宮村の技術によって、ショートヘアの良さに気付かされました。
僕もネイリストとして女性を綺麗にしてきたつもりだったけれど、宮村の技術を目の前にして嫉妬の感情が生まれて(笑)。その日から宮村への興味が溢れ、もっと近くでこの人を知りたいと思い、美容師に進路変更したんです。
そう決めてからは、人生初の皆勤賞をもらうほど真面目に学校に通い、数々のコンテストの賞も総ナメにするなど実績もつくりました。その甲斐あってか、無事に美容師免許を取得して卒業。同時に、宮村が所属する「AFLOAT」への就職も決定し、美容師としての人生がスタートしました。
――サロン「AFLOAT」といえば、大手ですよね。就職するために、どんな取り組みをしましたか?
社内の人から顔を覚えてもらうために、店舗に通い詰めました。
それも店長クラスの方に担当してもらい、伺う度に「AFLOATに入りたいんです!」と意志を毎回伝えて、顔を覚えてもらう作戦でした。熱意がある姿勢を示しておくことは、面接のときにインパクトを残せると思ったんです。
自分の宮村への想いが原動力だったので、「AFLOAT」の一員になれたのは、自分ができることに徹底的に取り組んだ結果だと思います。
自ら「直談判」をして、憧れの宮村さんのアシスタントに!
――カリスマ美容師と言われる宮村さんのアシスタントとなると、争奪戦だったのでは?
そうですね。そのうえ僕は、配属先の店舗の店長のアシスタントに決まっていました。
――どんな方法で専属のアシスタントになれたのでしょう?
宮村に自ら直談判しに行ったところ、アシスタントに任命してもらえることになったんです。僕は宮村に興味があって「AFLOAT」に入社したのに、アシスタントにつけないのなら「AFLOAT」にいる意味がなくなってしまう…!という一心でした。当時の店長には申し訳ないですしNG行為でもありましたが、そのとき行動したからこそ今の僕がいるんだと思います。
――宮村さんのアシスタントについてみて、どんなことが身につきましたか?
自分のポテンシャルが引き上げられたと感じます。
アシスタントになってから国内のみならず、海外で開催されるヘアショーなど、いろいろな場所に同行させていただきました。そのうち自然に場慣れしている自分に気がついて。美容師はお客様と接する以外にも、ヘアショーやセミナーなど大勢を前にして発信する仕事もあるので、そういった場面で活かせていると思います。
あとは、トップクラスの人たちと話す機会がたくさんあり、「手本」を間近で見られたのは大きい経験だったと。おかげで、自分が行くべきゴールを明確に想像ができました。
今までの経験から大事だと感じたのは、目標にする人を一人決めること。その目標の人がトップレベルであるほど良いです。普段、自分が見れないはずの景色が見れるのは、自分の経験になると思います。
サロン立ち上げの参加をきっかけに、プロデューサー仕事に力を入れ始める
――今やトッププレイヤーとして活躍している間嶋さんですが、プロデューサーの仕事に力を入れ始めた経緯は?
たまたま、合同会社MTGと「AFLOAT」が共同経営するサロンの立ち上げに参加したことが、プロデューサーの仕事に取り組むきっかけになりました。
ところが、集まったメンバーは当時デビューしたての僕を含め、売上が100万円にも満たなかったため、社内からは「うまくいかない」と口々に言われていました。余計になんとしてでも売上を上げてやろうと思い、売上に繋がりそうなこと全てに取り組もうと。SEO対策やマーケティングの仕組みを理解し、自分でアウトプットしていく作業から始めました。
――軌道に乗ったポイントは?
SNSの発信がバズったこと。内容は、僕が現在の妻に一番可愛いと思うヘアスタイルを施術した投稿や悩みをもとにしたアドバイスの投稿です。裏目的は、彼女が僕がいないときでも、一人でできるようなヘアアレンジをと思って投稿していたら、見ている人たちが共感してくれたようで拡散され始めたんです。
自分で学んだノウハウをほかのスタッフにも共有して実践してもらったところ、一人ずつの売上が約400万円くらいアップ。さらに、8ヵ月でグループの売上1位と新規集客1位までに辿り着けました。
立ち上げサロンを軌道に乗せたことで、プレイヤーの傍ら、プロデューサーをすることになった間嶋さん。後編では、着任後の仕事内容、新人の教育について伺います。
お話を伺ったのは…
「AFLOAT」プロデューサー兼業務執行役員・「AMATOKYO」代表取締役 間嶋 崇裕さん
高校在学中、ネイリスト検定1級を習得し、ネイリストとして活動開始。卒業後は、ヘアメイクアップアーティストを目指し、東京モード学園に進学。在学中、美容師に進路を変更し、美容師資格を習得後、サロン「AFLOAT」に入社。サロンのトップに立つ美容師の傍ら、プロデューサーに就任。現在は、プレイヤーとプロデューサーの二軸で活躍している。
取材・文/東 菜々(レ・キャトル)
撮影/SHOHEI
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