仲宗根幸子 interview #1:ネイリストの先駆者に聞くネイルの未来
サロンの数が増え続け、年々広がりを見せているネイル業界。そんな日本のネイル文化は、いったい、どのように発展してきたのでしょうか?
今回は、日本ネイリスト協会の会長、仲宗根幸子さんにインタビュー。まだ日本にネイルサロンがない頃に、海外からネイルの技術を持ち込み、浸透させたネイル業界の先駆者です。そんな仲宗根さんに、日本にネイルが根付いたいきさつや現状の課題などを伺います。
前編では、初めてネイルサロンに行った時の思い出や、ネイリストを始めた当初のエピソードを語っていただきます。
初めてのネイル体験で受けた感動
――まず、ネイルとの出会いについて教えてください。
「ロサンゼルスに行ったことがきっかけですね。私は、もともと広告代理店で働いていたので、仕事で訪れる機会がありました。その時に、街でネイルショップの看板をたくさん見かけ、気になったので入店してみたんです。ちなみに、当時日本にまだネイルサロンが1店もなかったので、私もまったく知りませんでした。初めてネイルショップを訪れてみると、ネイリストが道具ひとつでお客さまの爪をきれいに整えていたんです。それを見たとき、『私が求めていた技術だ』と思いましたね。というのは、自分の指にコンプレックスを抱えていたんです。指をケガした影響で、ひとさし指の爪が変形していました。そこで、ネイルを受けてみると見違えるほど爪が美しくなったんです。とても感動して、その時『ネイルを仕事にしよう』と決めました」
――日本にネイルを持ち込んだ当初は、どのような反応でしたか?
「なかなか、思うように広まりませんでした。やはり、ネイルに抵抗がある方が多かったんです。『なぜそんな長い爪をしているのか?』『うちの嫁にはさせない』などの声を聞きましたね(笑)。また、ネイリストを目指す人も少なかったんです」
“ネイルを習いたい” という、女子高生のひと言
――なぜ、ネイリストを目指す人が増えなかったのでしょうか?
「私たちが、ネイルの技術を伝える相手を勘違いしていたことが理由のひとつですね。というのは、日本ネイリスト協会を立ち上げた当初、主に美容師にネイルを教えていたんです。もともと、アメリカでは美容室の片隅でネイルをしていたので、日本でも同様に広めようと考えました。しかし、ネイルを学びたい美容師はそれほど多くありませんでした。とこ
ろが、ある時、女子高生の女の子から『ネイルを習いたい』と言われたんです。彼女は美容室を訪れた際に、店内に置いてあった美容雑誌でネイルアートを見ていました。その時、技術を伝える先を間違っていると感じたんです。そこで、雑誌にネイル教室の広告を出したところ、一般の方が習いに来て、それから、じわじわと広がっていきました。ちなみに、当時教えていた方は、今でもネイリストとして活躍しています」
ネイルをすると、いつでもきれいになった自分を確認できる
――初めてネイルを経験した人は、どんな反応をしますか?
「すごく幸せそうな顔をしますね。髪型やメイクは、鏡がないと自分を見れませんが、ネイルはいつでもきれいになった自分を見ることができますから。本当にうれしそうに、自分の手を眺めている方が多いです」
ネイルの歴史はとても古く、古代エジプト時代や飛鳥時代にまでさかのぼります。また、現在のネイルは、1930年代にアメリカで広まり始めたそうです。実は、大手自動車メーカーフォードの速乾性塗料が元になったとのこと。ネイル技術の発展を感じるお話でした。中編では、現在のネイル業界の課題や一流のネイリストにとって大切なことを伺います。
Profile
仲宗根幸子さん
NPO法人日本ネイリスト協会会長
NSJネイルアカデミー院長
ネイルズ仲宗根株式会社代表取締役
株式会社仲宗根ネイル研究所所長
公益法人日本ネイリスト検定試験センター理事
日本におけるネイリストの先駆者であり、つねにネイル業界の第一線で活躍。ネイリスト育成歴は40年以上。NPO法人日本ネイリスト協会では15年間講師会会長を務め、認定講師の教育にあたる。国内コンテストをはじめWINBA、IBSニューヨーク、IBSロングビーチなど米国ネイルコンテストの審査員や、国内の地方大会で審査委員長も務めている。
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