つらい経験が今の自分を作っている。私の履歴書 Vol.26【MINX 岡村享央さん】#1
カリスマ美容師として一時代を築きあげてきた、人気サロンMINXの社長である岡村享央さん。長きにわたりトップサロンとしての地位をキープしています。MINXの会長との出会いが初めての転機となったとか。そんな岡村さんの美容人生で困難にぶつかった経験やMINXの店長時代の話などを伺いました。
OKAMURA’S PROFILE
幼少期〜専門学校時代
MINX会長との出会いが上京するきっかけに
――幼少時代のお話を聞かせてください。
小学校3年生から6年生まで野球をやっていました。中学、高校時代はサッカーをやっていたので、ずっとスポーツをやっていましたね。真面目なほうではなかったので、学校での勉強も熱心になるようなタイプでなかったです。母親がもともと美容師をやっていたこともあって高校に通いながら通信教育を受けるようになりました。
――お母様の影響もあったのでしょうか。
そうですね。母親が美容室をしていたこともあり、高校生くらいになると見様見真似で切ってあげたりとかしていました。そんなこともあって、進路を決める頃には美容師になろうという感じでした。
――美容学校での生活はどうでしたか。
通信なのでそんなにクラスのみんなに会う機会はなかったですが、高校生だったので、年上の方に可愛がっていただきましたね。卒業後は、そのまま知り合いの紹介で高知市内のサロンに就職して、ひとり暮らしも始めました。高校卒業したばかりで働き始めて、周りの友人も高知市内で働いている子もいたんですけど、土日休みの子が多くて。自分は平日休みだったので、最初は慣れなかったですね。
その頃はスタイリストになっていたのですが、自分の技術に自信があるわけでもないし、なんとなくやっていて。でも、高知で働いていたお店にMINXの会長である高橋が来たんです。その技術を見て、やっぱり全然違うというのを目の当たりにして……。東京でやりたいという気持ちもあって、22歳で東京に出てきて、MINXに入社しました。
MINX入社期
一年でスタイリストになると決意しました
――高橋さんとの出会いが第一の転機なのでしょうか。
そうですね。当時すごく人気だった、ドレッドまではいかないパーマスタイル(BAW hair)を見て斬新だなと思って感銘を受けました。
MINXでは、もちろん一からのスタート。僕は当時22歳だったのと7月から入ったので、若い子たちと切磋琢磨しながらやっていました。入社した当時は、ヘアショーもすごく盛り上がってきて、MINXもメジャーになってきた時期でした。渋谷でヘアショーをやったり、アシスタントでしたが、そういうのを見ながら「いつか自分もこういうステージに立ちたいな」っていうのを思いながらやっていました。
――1年でスタイリストになったそうですね。
そうです。MINXに入って、1年でスタイリストになるって決意して、実際に1年後にスタイリストになりました。でも、最初は全然売り上げも上がらなかったし、2年くらいは鳴かず飛ばずで……。MINXのヘアショーや単独公演のジャパンツアーのステージに出たり、美容専門誌や一般誌の撮影を任されるようになったころから売り上げも上がるようになりました。その頃、カリスマ美容師ブームが始まろうとしてたときだったので、ヘアスタイルが一つでも読者にウケると本当にすごかったんです。
――ジャパンツアーは、かなり盛り上がったと伺いました。
当時、ジャパンツアーは日本全国7大都市回ってヘアショーをやっていました。南は沖縄から北は北海道まで。16時とか夕方から始まるのに、朝7時くらいにお客様が並んでいるわけです。単独公演は業界初でしたし、すごい人気でしたよ! その頃はちょうど、ヘアスタイルを作るのが楽しくなり始めたとき。僕の原点です!
――ヘアショーで作る作品とサロンワークでやるスタイルは違うのかなとも思うのですが、何か通じるものはあるのでしょうか。
違うんですけど、根本は一緒なんです。カットが複雑になったり、スタイリングが派手になったりしますけど、ベースは変わらないんです。どちらにも通ずるものがあって、ヘアショーや雑誌の撮影に向けて鍛えたからこそ、技術やスタイルが普段のサロンワークでも活かすことができました。
MINX店長時代
壁にぶつかった経験があるからこそ今の自分がいます
――ご自身の転機は何かありましたか。
ちょうど26歳くらいのときにJHAで新人賞をいただきました。その年が僕の美容人生においてターニングポイントじゃないけど、売り上げもとても伸びた年だったし、美容専門誌や一般誌にもどんどん出て、賞をいただいたというのはありましたね。もともと一年でスタイリストになると決めていたから、営業の前も後も練習したんですけど。それでもやっぱり雑誌の企画をいただいたら、何十体ってウィッグを切っていろんなことを試したり、テストしたりしながら撮影に臨んだりすることはありましたね。
――転機を経て、何か変化などありましたか?
26歳のときにいろんな賞をいただいた経験があり、その後27歳のときに新店舗の店長として抜擢されました。新たに青山にお店を出すことになりました。これがまたキツくて。今まで下北沢と広尾にしか店舗がなかったので、お客様が来ないわけですよ。スタッフが8人くらいだったのですが、2階と3階のツーフロア。営業時間が12時から22時までだったのですが、毎日21時くらいにお店を閉めて、どうやったらお客様にお越しいただけるかということを話しました。それこそ自分たちで作品撮りをして一般誌の雑誌に企画を売り込みに行ったりもしましたね。
2年後の29歳の時に、美容師のテレビ番組でレギュラー出演させていただいたのですが、お店もどんどん忙しくなって。ラーメン屋さんによくあるような丸椅子を店の外まで並べていたこともありましたよ(笑)。きつい経験したことで、今は何をやっても怖くはないですね。
――店長になられて意識的な部分の変化はありましたか?
それまでは自分個人で売り上げを上げられればよかったですけど、下の子たちを育てていかないといけないっていうのもあるし、育て方を学びました。
――壁にぶつかった時もありましたか。
32歳くらいのときに、JHAの準グランプリをいただいたんですね。その作品以降、自分の中で限界だなと思ってしまって、自分のイメージしている作品が作れなくなってしまったんです。もう一度一からやり直そうと思って、基本から学び始めました。1年間で200体くらいウィッグを切ったりしたことも。この経験があったからこそ、自分が勉強したことを下の子たちに伝えようと思って、現在は月に一度スタイリスト対象にカットレッスンを行っています。岡村カットレッスンを略してOCL! より高いレベルへスキルアップできると社内で好評です。また、『MINX 岡村カットレッスン(髪書房)』として書籍化され、多くの美容師の方々に愛読いただき美容業界に貢献してきました。これはもうかれこれ10年以上続いています。
――10年以上はすごいですね。
みんな泣きそうになりながらやっていますよ(笑)。今だとどうしてもSNSで新規のお客様を集めることが注目されていますけど、美容師としての器が大きくないと、一度お客様にお越しいただけたとしても、次につながらないということもあります。美容師としての器が大きければ、どんどん溜まっていきますし。お客様を呼ぶ力とお客様を定着させる力、この二つをきちんと身につけて欲しいなと思います。
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全て残せるものは残していきたい。私の履歴書Vol.26【MINX 岡村享央さん】#2>>
撮影/石原麻里絵(fort studio)
取材・文/梅澤 暁