美容を通して自分にもっと自信をつけたい。努力を欠かさなかった新人時代「DADA CuBiC」渡辺莉帆さん
44歳の若さで逝去した伝説の美容師・植村隆博氏が1997年に東京・表参道でオープンさせた「DADA CuBiC」。ハサミ一本で、その人にあった美しいスタイルに仕上げるカット技術は業界内でも評判で、運営するアカデミーには日本各地から美容師が訪れます。
そんな「DADA CuBiC」で入社8年目となるのが、渡辺莉帆さん。美容専門学校時代は努力を重ね、常に成績は上位だったとか。その背景には、美容師になるからには自分が納得できるレベルまで達したい、自分に自信をつけたいという思いがあったといいます。
入社当初はサロンワーク、練習以外にも、サロンが運営するアカデミーのアシスタント、自ら志願した撮影のアシスタントなど業務量の多さになかなか慣れることができなかったという渡辺さんですが、それもすべて自分のプラスになると考え、乗り越えてきたそうです。
今回、お話を伺ったのは…
「DADA CuBiC」スタイリスト
渡辺莉帆さん
静岡県出身。美容師をしていた母親の影響で、美容師を目指すようになる。静岡の美容専門学校を経て、2017年4月に「DADA CuBiC」入社。入社4年目でアシスタントを対象としたヘアショーでリーダーを務めるなど、徐々に頭角を表し、2022年4月にスタイリストデビュー。現在は業界誌やファッション誌の撮影、ヘアメイクとしても精力的に活動している。
自分に自信が持てなかった過去。美容を通して自分を変えたかった
――渡辺さんが美容師になろうと思ったきっかけは?
一番大きかったのは、母の影響です。母が美容師という環境の中で育ったので、美容には興味がありました。元々はエステやネイルの道に進もうと思っていたのですが、高校生になって母から美容師という仕事について話を聞いていたときに、美容師はお客様に喜んでもらえる仕事だと聞いて、魅力を感じるようになったんです。高校卒業後に美容専門学校に進み、美容師を目指すことになりました。
――専門学校時代、印象的だった出来事はありますか?
とにかくいろいろな挑戦をしたいと思っていたので、コンテストやボランティアなど、参加できるものには片っ端から参加していました。いろんなことに興味を持ちやすい性格ですし、経験することによって成長できることもわかっていたので、楽しいか楽しくないはひとまずは置いておいて、とりあえず一度はやってみようという感じでしたね。
とくに印象的だったのは、美容学生を対象にした「kawaii」選手権大会というコンテストに出場したことです。テーマに沿って、衣装とヘアメイクを考えるコンテストだったのですが、私の学校では校内予選で勝ち抜いた人が出場権を得ることができるようになっていました。決勝は東京で行われ、勝てば海外で活動ができる仕組みだったんです。
校内予選は勝ち抜くことができて、東京の大会に出場することができましたが、残念ながらその先に進むことはできませんでした。でもひとつの作品を作り上げる、いい経験になったと思います。
――校内で選ばれるということは、優秀な学生さんだったんですね。
自分で言うのもなんですが、成績は良い方でした(笑)。モチベーションになっていたのは、美容師になるからには自分が納得できるレベルまで到達したいという思いです。美容の世界は順位が明確につきますし、それは専門学校時代も同じなのですが、たとえ今は結果が出なくても、次はもっと上にいこうと常に考えて行動していました。
というのも、私は子どものころから自分にあまり自信がなかったんです。わりといろいろなことができるタイプではあるのですが、上には上がいる、まだそこには届いていないとつい思ってしまって……。だからそんな自分に、美容を通して自信をつけたいという思いがありました。
カットにこだわり、洗練されたスタイルを提供するサロンに惹かれて
――就職先に「DADA CuBiC」を選んだ理由は?
専門学校時代にアルバイトをしていたサロンのオーナーから、「DADA CuBiC」を教えてもらったのが、知ったきっかけでした。私は東京のサロンでの就職を目指していたので、内定をつかむために何かプラスになることはないかと考えていました。そこで思いついたのが、美容室でアルバイトをして、少しでもスキルを身につけることだったんです。家の近くにあった美容室でアルバイトを始めたところ、そのサロンのオーナーさんが技術に対して熱量があり、「DADA CuBiC」のアカデミーに通っている方でした。
自分でもサロンについて調べたのですが、カットの技術にこだわりがあるところと、ホームページに掲載されているスタイルが洗練されていたところに、とても惹かれて。自分もそんな技術を身につけたいと思い、応募を決めました。
――実際に入社したあと、どんなことを感じられましたか?
最初は、私が静岡で育った田舎者だったので、「ここが東京のサロンか」とその洗練された雰囲気にただただ圧倒されて(笑)。サロンの扉を開けるのにも緊張してしまいました。あとは入社前からスケジュールが詰まっていたので、ちょっとバタバタした感じでしたね。
うちのサロンでは、入社前からシャンプー練習ができることになっているのですが、静岡から通うのは難しかったため、私は卒業式を終えて引っ越したあとから始めようと決めていました。シャンプーのチェックテストに受かるのも大変だと聞いていたので、なるべく多く通ったほうがいいと思い、引っ越しを終えたその日の夜から、入社までの10日間、毎日通いましたね。
――シャンプーの技術習得は難しいと感じましたか?
シャンプーの技術自体は専門学校時代に習ってはいて、流れ自体が大きく変わることはなかったのですが、うちのサロンのシャンプーはマッサージと組み合わせた感じになっているので、今まで習ったものをリセットしてまた最初から覚える形でした。合格までは1ヶ月くらいかかったと思います。
それまではお客様に技術面で入ることはできなかったので、フロアの掃除や、タオルの用意、お客様にドリンクを出すというような業務が主でした。
やることの多さに戸惑う日々。学ぶことをモチベーションに乗り越える
――新人時代に苦労したことはどんな点でしょうか?
当初は仕事量の多さになかなか慣れることができず、ついていくのに必死でした。サロンワーク、練習はもちろんですが、うちのサロンで運営しているアカデミーのアシスタント、アシスタントを対象としたヘアショーの準備。あとは私が撮影に興味があったので、自ら希望して撮影のアシスタントに入らせていただくこともあって、やることが本当に多いと感じていたんです。
――それはどのように乗り越えたのでしょうか?
すべてにおいて学べることがあるという気持ちを持つことで、なんとか乗り越えました。たとえばアカデミーのアシスタントは、授業の内容を一緒に聞くことができますし、撮影のアシスタントでは先輩の姿を見たり、ファッションの勉強にもなったりと、全部が自分につながっている、得るものが多いと感じていました。専門学校時代に感じていた、納得できる自分になりたい、美容を通して自分に自信をつけたいという思いが、自分を支えてくれていたと思います。
とくに印象的だったのは、アシスタントだけが出場するヘアショー「JUNIOR TOKYO」を経験したことです。2年目から出場し4年目にはリーダーを任されて、寝られないくらい大変でしたが、成長できる機会になったと思います。
体力的、精神的にきついと感じることもありましたが、そういうときは同期と支え合ったり、都内に就職している専門時代の友人に会って、お互いに話しをしながら発散したりしていました。
渡辺さんが努力を続けることができた3つのポイント
1.美容を通して、自分に自信をつけたいという思いを抱き続けた
2.自分が成長できると考え、さまざまな経験を積んだ
3.大変なことがあっても、自分の学びになると信じていた
後編では、渡辺さんの成長の機会になったというアシスタント対象のヘアショーについて詳しく伺います。2年目で出場権をつかみ、4年目ではリーダーを任されたという渡辺さん。メンバーの意見をまとめたり、構成を考えたりするのに苦労をしたそうですが、その甲斐もあって無事に成功させることができたといいます。後編もお楽しみに!