体の硬さをあえて売りに!初心者や高齢者にも人気のヨガインストラクター、上村ゆいさん
ヨガインストラクターの上村ゆいさんは、2017年からフリーランスのヨガインストラクターとして活動を始め、現在は古民家ヨガ教室の主宰や、オンラインサロンを開設するなど活躍の幅を広げています。
前編ではヨガインストラクターとしてのキャリアのスタートや仕事をどう広げてきたかを伺います。ヨガを始めたばかりの頃は体が硬く、苦手意識があったという上村さん。しかし今はその体の硬さを逆手にとって売りにすることで、ヨガ初心者や高齢者の方、運動が苦手な人でも安心して通える教室として人気を集めているそうです。
今回、お話を伺ったのは…
上村ゆいさん
ヨガインストラクター
精神保健福祉士・社会福祉士の国家資格を持つ。精神科勤務・飲食店・美容部員・農業など幅広い職種を経験し、2017年からフリーランスのヨガインストラクターとしてさまざまな場所でレッスンを行う。2019年には南九州市に移住し古民家を借りて、ヨガ教室を主宰しているほか、2021年からトータルビューティを学べるオンラインサロンを開設。また2022年からはライターとして「ヨガジャーナル」に寄稿するなど、活動の幅を広げている。
上村ゆいさんのinstagram:@gekkabijin_yui
twitter
youtube:【身体の硬い人向けヨガで美しい姿勢へ】
ヨガが苦手だったからこそ開けた、初心者でも安心して通えるクラス
――上村さんがヨガインストラクターになった経緯を教えてください。
20代後半に婦人科系の病気を患ったのがきっかけでヨガを始めました。当時、習っていたヨガの先生から、インストラクターになることを勧められたんです。
――そんな風に声をかけられるということは、素質があったんですね!
いえ、全然(笑)。初めてヨガをやったときなんて、自分の体がかたすぎて、1回で辞めようと思ったくらいです。でもここで辞めたらだめだなと、思いとどまりました。私は元々運動がすごく苦手で、これまで体を動かすことがほとんどなくて。それでも健康になるためにと一念発起して通い始めたのに、ここでやめてしまったらこの先の人生は不健康確定だなと思って、もうちょっと続けてみようと思ったんです。だから先生も、素質を感じたわけではなくて、ノリで言っただけかなと思います(笑)。
――それでも、今に至るまでインストラクターを続けられているわけですよね。
あまりヨガが好きではなかったことが、結果的には良かったんだと思います。ヨガインストラクターというのは、ヨガ好きな方がとても多いと思うんです。そうするとヨガも別格になってしまって、私のように運動が苦手な方とか、初心者の方にはハードルがあがってしまうことも多いと思います。なので私は全面的に体が硬いことを売りにして、初心者の方や体が硬い人をターゲットにすることにしました。
ヨガブロックやヨガベルト、ストレッチポールなども使いながら、無理せずに続けられるレッスンを提供していたら、段々と生徒さんが増えていきました。私の生徒さんは40代以上の方が多く、最高齢の方は80歳なんですけど、比較的年齢層が高いのも安心して通えるからではないかと思います。
これは今でもヨガインストラクターとして一番大切にしていることなのですが、先生として何かを教えるのではなく、自分が知っていることを伝えるという立ち位置を大事にしていますね。
地域活性化団体に参加し、活動の場を次々と獲得
――ヨガインストラクターのキャリアは、どのようにしてスタートされたのでしょうか?
最初は先生がカルチャーセンターを紹介してくださって、そこで働いていました。集客はカルチャーセンターにお願いする形でしたので、とくに自分で集客はしていませんでしたが、月2回しかレッスンがなかったんです。このままではだめだと思い、徐々にインストラクターとして活動する場所を広げていきました。
――具体的にはどのようにして広げられたのですか?
その頃私が住んでいた、鹿児島市の地域活性化団体に所属をするようになって、いろいろな方と仲良くなっていくにつれて、うちでもやってほしいという声がかかるようになりました。たとえばカフェを経営している方に一部をお借りしてレッスンをさせていただいたり、フリースペースを運営している方にお声がけいただいてヨガイベントをやってみたり。ご自宅に呼んでいただいて、数名にレッスンさせていただくこともありました。
私はヨガを広めるために活性化の団体に所属していたわけではなくて、本当に地域活性化に興味があって。ほかの方がイベントをする際にはお手伝いに行ったりもしていたので、それで少しずつ信頼していただけたのかなと思います。
古民家ヨガに活路を見出し、南九州市に移住
――ヨガインストラクターとなってから2年後に南九州市に移住されていますね。それはなぜでしょうか?
鹿児島市に住んでいたときは、ヨガインストラクターを名乗りながらもほぼアルバイトで生活しているような形だったので、いつまでもアルバイトに頼る生活はいやだなと思ったんです。環境をがらりと変えることにしました。
――南九州市を選んだ理由は?
古民家がたまたま見つかったからです。私がヨガインストラクターとして活躍するなら、スタジオではないと思って。そこで古民家再生をやっているNPOの方とつながり、その方に古民家をご紹介いただいたんです。南九州市であればそれまで住んでいた鹿児島市までも車で1時間くらいで行くことができるので、これまで担当したお客さまとのレッスンを続けることができると思ったのも、南九州市の決め手になりました。
――南九州市に移住されてからは、どのようにして集客をしていったのでしょうか?
南九州市に知り合いがほとんどいなかったので、まずは知り合いを増やさないことにはどうにもならないと思い、農業を手伝いに行くことにしました。私が住んでいる南九州市は農業が盛んな地域ですし、私はヨガインストラクターになる前に農業の仕事をしていたこともあったので。農家の方たちというのは、ヨガをやられる方はあまりいないので、直接集客しようというより、顔見知りを作るくらいの気持ちでいたんです。
顔見知りを増やしていくことで、私がいないときにも話題になることがあるようで、初めての方にお会いしても「あ、ヨガやってる方だよね。知ってるよ」と声をかけていただくことが増えました。そういった効果もあってか、私の家のそばにあるお寺からお声がけいただいて寺ヨガをやらせていただくようになったり、古民家ヨガにも徐々に人が集まるようになりました。
ちなみにSNSやブログ、ホームページ作りに着手したのもこの頃です。SNSはすぐには集客に結びついたりはしませんが、レッスンに来てくださる方はSNSを見てくださっているので、力を入れておいてよかったなと思います。ところが1年ほど経って生活が軌道に乗ってきたころにコロナ禍になってしまったんです。
上村さんがヨガインストラクターとして活躍できるようになった3つのポイント
1.自分の体の硬さを活かし、初心者でも安心して通えるレッスンを提供した
2.地域で積極的に活動している人たちと仲良くなり、ヨガを提供する場を与えてもらった
3.移住後は地域の人に顔を知ってもらうように、さまざまな場所に顔を出した
後編ではコロナ禍で大打撃を受けた上村さんが、どのように起死回生したかを伺います。カギとなったのは、オンラインサロンの運営と、ヨガインストラクターの知識を活かしてライターとしても活動を始めたこと。さまざまな経験の掛け合わせで、活動の幅を広げたことが、コロナ禍の打破につながったといいます。後編もお楽しみに!