美容業界を盛り上げるには、後継者を育てつつ道をあけることが重要【六本木美容室 主宰 小松比奈恵さん】#2
六本木美容室の創業者であり、今なお週に3日はサロンに立つ小松比奈恵さん。前編では、尊敬する師匠・伊藤五郎先生に出会い、さまざまな人とのご縁でご自身のサロンを開いた経緯について伺いました。後編では、六本木美容室が創業以来ずっとセレブ御用達のサロンであり続ける秘密や、5年前に発覚した癌をいかに克服したのか、お話しいただきました。
辞める人に意地悪しない。お行儀の悪い人のことは忘れる
――25歳で創業なさって、トラブルなどはなかったんですか?
若かったので、怖いことも分かりませんでした。子どものようにやりたいと思ったことをやっていましたね。
創業当初、クレジットカードを使う人はなく、皆さん現金。引き出しにお札がいっぱい詰まっていたんです(笑)。家賃、材料代、スタッフの給料を残しておけば、あとは自由に使えるものだと思っていたんです。お札を握りしめてサンローランの服を買いに行ったり、毎晩のように六本木に遊びに行ったりしていました。そうしたらある日突然、税務署の方が来て「税金の申告に誤りがないですか」って。ものすごくショックでしたね。追徴金をお支払いして以来、経理の勉強をするようになりました。
――人事の面ではいかがですか?
私のサロンでも45年もの間にたくさんの人が辞めていきました。私は伊藤五郎先生にやっていただいたように、温かく見守るようにしています。でも、ほかのスタッフを引き連れて辞めるような、お行儀の悪い人のことはキッパリ忘れることにしています。
伊藤先生は今年で80歳になりますがとってもお元気。今でも交流があって、毎年みんなで食事会を開いているんですよ。先日も「この前作品を見たけれど、まだダメね」って、いつまでたっても先生なんですね。いつでも修行していた頃に戻れるのはありがたいことです。
――創業当初から「高級」、「エレガント」なイメージが今も受け継がれているのはなぜだと思いますか?
それはもう、お客さまのお陰としか言えません。イメージは自分たちでつくって、どうにかなる物ではないと思います。ある俳優さんもおっしゃっていました。「やりたい役のオファーが来ないって嘆いている役者がいるけれど、監督がやらせたいと思っている役に乗っかるのがいちばん」ですって。なりたいと思っても、他の人が思っているイメージにはギャップがあるものです。
――45年の間に周りの評価が下がらなかったのはなぜだと思いますか?
古臭さがないことでしょうか。いつも私が前に出て行くのではなく、若いスタッフに任せることも大事。エレガントなマダムと一緒に、ストリート系の若い方たちもいらしてくださる…そんなサロンが私の理想です。
美容師の中でも若い人たちがSNSで発信してくれるなど、いろいろな才能がでてきていますね。嫉妬を感じないわけではないですが、嫉妬に振り回されても良い結果にはなりません。イヤなことは忘れるのが一番です。落ち込んだらテンションを無理矢理にでも上げて忘れることです。すべては気の持ちようなんですから。
抗がん剤による辛い副作用も、サロンに行けば癒やされた
――創業から45年経ちますが、大きなトラブルはなかったんですか?
大きなトラブルは私が癌になったことですね。20年前から毎年2月と8月はホノルル店で仕事をすることになっていて、17年も同じようにハワイへ向かいました。そこでシャワーを浴びているときお腹にしこりがあるのを見つけたんです。3月に帰国して病院で検査をしたら卵巣癌だと分かり、すぐ手術しました。
すでにサロンの予約は入っていましたから、スタッフにお願いしてお客さまに連絡してもらいました。今は3人に1人が癌になる時代。お客さまには病気のことを隠さず、正直に伝えてもらいました。別のサロンに移られる方もいましたし、私が戻るまで、別のスタッフが担当することを選択してくださる方もいました。
私は結婚をしていますが出産はしていません。なので、長期のお休みをとったことがないんです。これは「神さまがくれたお休みなんだ」と気楽に考えていました。
――抗がん剤の副作用はキツくなかったんですか?
人によって感じ方が違うと思いますが、私の場合とっても辛かったですね。「抗がん剤の辛さを乗り越えられたんだから、これから何が起きても怖くない!」と思っています。
治療中は体重が40㎏を切り、足の感覚が鈍くなってあちこちぶつけるようになりました。手にもしびれがあって、物が持てなくなったんです。「もうハサミを持てないかも」という不安な気持ちのまま、抗がん剤の治療は半年ほど続きました。筋肉量がガクッと落ちて、伝え歩きしかできないほどしんどいのですが、サロンが大好きだから行きたいんです。まず店に電話をかけて、自分のお客さまがいないことを確認してから顔を出しました。サロンにいるとパワーがもらえて元気になれるんですね。スタッフたちに「先生がんばれ!」って応援されたから乗り越えられたのだと思います。
――サロンに復帰するまで、どのくらいかかりましたか?
1年ほどかかりました。今でも3か月に1回のペースで検査しているんですよ。早く見つければ治る病気ですから、検査で癌の数値が上がったとしてもすぐ治療すれば復帰できます。担当の医師に「今の医学では癌で死ねません」って言われたんですよ。お客さまの中にも癌になった方がいらっしゃいます。おかげさまでお客さまの気持ちに寄り添えるようになりました。
――スタッフとの距離感がすごく近いんですね。
スタッフみんなが愛おしいんです。両親も兄も他界して、私はもう天涯孤独。夫はいますがスタッフと一緒にいる時間の方が長いんですよね。ですから彼らが妊娠すれば私も嬉しい。出産して復職したあと、子どもを預けられないときは私が面倒を見ることもあるんですよ。そのせいか、スタッフの子どもたちは私のことをばあば、主人をじいじと呼んでいます。子どもたちは物心がつくまで世の中にじいじとばあばは6人いると思っているみたい(笑)。実のじいじとばあばより頻繁に会っているんじゃないかしら。大人になっても甘えてくれるのが嬉しいですね。
スタッフの子どもたちを含めて、私にとってみんなが家族。困ったことが起きると、みんなが助けてくれます。「辞めちゃおうかな」って落ち込んだときも、「一緒にがんばりましょう!」と言ってくれたときは、「よし!一生面倒をみてやる」と思いました(笑)。
若い人に道をあける。目標はそ~っと生涯現役
――これからの夢はありますか?
以前は60歳になったらこの仕事を辞めて、今までずっとやりたかったことをやろう!と思っていました。でも、癌になってコロナになってやりたかったことができちゃったんですよね。だから生涯現役で、今のこの仕事を続けます。
――「やりたかったこと」は何ですか?
家庭に入って家事に専念することです。癌とコロナで外出できなくなり、仕事もできなくなったので、いい機会になりました。でも実際に体験してみて、私には向いていないことが分かったんです。仕事があって本当に良かった(笑)。
週に1回でも、お客さまがいらっしゃる限りはサロンに立ち続けたいと思っています。生涯現役が目標ですが、サロンワークはそ~っと続けたいんです。若い人たちに道をあけたいので。
――「道をあける」というのは、どういう意味ですか?
私が講師や審査員を務めて後継者を育てるお手伝いをしている早稲田美容専門学校の卒業生にOCEAN TOKYO代表の高木琢也君がいます。彼が本を書いたんですよ。「本を書いたので読んでください」って、手渡してくれたのが『這いつくばった奴が生き残る時代。道あけてもらってもいーすか?』(宝島社)。
この本を読んで「本当にその通り!」だと思いました。私の世代を含め少し前のカリスマ美容師ブームをつくった上の世代は、若い人たちに道をあけないといけません。高木君たちのような実力のあるスタイリストの成長を見守らなくちゃ。上の世代は頭が硬いんですよね。「自分たちはこうだった」とか昔のことばかり言って、新しいことを理解できない。古いんですよ。
私たちの時代は海外で新しい技術を学びましたが、今や日本の美容業界は技術も材料も何もかもが世界一。海外からたくさんの人たちが学びに来ています。それなのに上の世代が蓋をしたらダメです。
――OCEAN TOKYOの高木さんを目標にしている美容師さんも多いですよね。
うちにもいますよ。OCEAN TOKYOの採用面接に落ちたのに諦めきれなくて、また受けるんだって言ってます。何回受けたって、落ちるのは目に見えていますよね。だからその子に言いました。「私だったら次の高木君になることを目指すけどな」って。六本木美容室で私や他の先輩に学べばいいんです。人と同じことをしていたら伸びません。努力をしなくちゃ。例えば、今、韓流スタイルが流行っていますよね。それを真似してどうする?超えるスタイルを考えるのが美容師でしょう!
――美容師が一人前になるにも独立をするにも壁があります。克服するアドバイスをお願いします。
本当に辛いことがあったら、性格を変えることです。ものは考えようで、辛いと思えば辛くなります。スタイリストを目指して勉強していると、他のサロンや業界がステキに見えるんですよね。うらやましいと思っちゃう。しんどいときは周りを見ないようにすることも大事です。目の前にあることだけを考えればいい。長い人生の中でほんの2~3年のこと。ガマンしないで他の道に進んだら、絶対に同じことを繰り返します。辞めたいという子には、「次から次にサロンや仕事を変えていく人生でいいの?」とアドバイスしてます。
独立を目指すなら、個人スポンサーからお金を借りず、自分で何とかすること。そして友だちと一緒に店を持つのは止めた方がいい。仕事が順調なときはよくても何か問題が起きたとき、必ず「おまえのせいだ」ってなるんです。自分1人でできないなら、やらない方がいい。1人なら腕さえあれば、店が続かなくても何とかやっていけます。美容師はいちばん素敵な仕事。国境と定年がないんです。仕事ですから面白いことばかりではありません。「もう少しがんばりなさい」って言っても、みんなすぐに辞めちゃうのは、本当にもったいないことです。
小松さんの成功の秘訣
1.何か行動を起こすときは無理をせず、タイミングを見極める
2.前に出過ぎず、若いスタッフに託す
3.落ち込んだら無理にでもテンションを上げて切り替える
撮影・森 浩司