美容師になるはずがカラーリストとしてデビュー! 同期の存在に救われた新人時代【stair:case代表 中村太輔さん】#1

銀座、武蔵小杉にあるサロン「stair:case(ステアケース)」の代表を務める中村太輔さんにインタビュー。中村さんはサロンの代表である以前に、「カラーリスト」として日本でもトップクラスの実力の持ち主です。

今なおカラーリスト業界を盛り上げる立役者として活躍している中村さんですが、もともとは美容師を目指していたのだとか。カラーリストとして2ヶ月の最速デビューを飾った背景など、中村さんが「カラーリスト」として活躍するまでの経緯をお聞きします!

NAKAMURA’S PROFILE

お名前
中村太輔
出身地
東京都
年齢
47歳
出身学校
国際文化理容美容専門学校渋谷校
憧れの人
偉人の皆さん
プライベートの過ごし方
今は家族と過ごしています
趣味・ハマっていること
引退するまでは仕事が趣味と決めています
仕事道具へのこだわりがあれば
意識的に仕事道具を変えるのがこだわり。
道具が変わると仕事が変わるので。

美容師を目指していたはずがいつの間にか「カラーリスト」になっていた

とてもユーモア溢れるお人柄で、お客様から人気の秘密も頷けます。

――最初は美容師を志望していたと伺いました。

いつの間にかカラーリストになっていたので、自分でもびっくりですよ(笑)。

――美容師に憧れたきっかけをお聞かせください。

高校生の頃に手に大きなケガをしたことがきっかけです。

ちょっとした拍子に高いところから落ちてしまい、手首を骨折してしまって。ケガは思ったよりも重く、切断を視野に入れられるほどでした。そんな状況に追い込まれたとき、もし手が治ったら「手を使って人を幸せにする仕事がしたい」と思ったんです。

無事に手術が成功したあとは、カットがしたくて美容師を目指し、美容の専門学校へ進学しました。

――美容師の夢を叶えようと思う中で、カラーリストに転身した経緯は?

実は僕、美容師を目指していながらサロンに行ったことがなかったんです。ずっと床屋に通っていたため、どこを志望したら良いのか全く分からず、学校の先生にいくつかピックアップしてもらっていました。そのリストの見学先に行ったとき、別の気になるサロンを見つけて。そここそが、のちに自分がカラーリストになったサロンでした

今まで見学してきたどのサロンよりも気になってしまい、アポもとらないまま突撃してしまったのですが、優しく対応していただいて、店内やスタッフの雰囲気がとても良いと感じたことを覚えています。

入社するにはどうしたら良いのか聞いてみたら、「今年から新卒でカラーリストを募集するから受けてみて」と勧められて。話を聞いてから分かったのですが、カラーリストとカットの美容師をそれぞれ分けるスタイルのサロンだったんですね。僕はカットがしたくて美容師を目指していたので、話を聞いてからは少し興味が薄れてしまいましたが…先生の図らいもあり、面接を受けることになったんです。

いざ受けに行ってみると、面接官からの印象が良くなかったのか、自分に対して一ミリも興味を持ってもらえていないような空気を感じました。これは一発何か言っておかないと自分の気が収まらないと思い、「世界で勝負ができるカラーリストになりたい」とサロンの方針に沿った主張を伝えたら、なんと採用をいただき入社する運びとなりました

――後悔はありませんでしたか?

今だからこそ言えますが、自分で自分の目標を閉ざしてしまったことには後悔しましたね。辞退できないか、先生にも相談したんですよ。それでも採用は覆せないと言われ、決意を固めました。

入社後わずか2ヶ月でカラーリストデビュー。激務の中で達成できたのは「彼」のおかげ

職場の雰囲気が好きだったと話す中村さん。「失敗を経験させてもらえる場所があったのは、とてもありがたかったですね」。

――改めて当時のサロンのコンセプトを教えてください。

カット、カラー、パーマの全てをプロのクオリティで提供しているサロンで、単価も安くなく、とにかく高い技術力が求められていました。

――そんなサロンで2ヶ月後にデビューしたとか…?

そうなんです。もともとサロンには2人のカラーリストがいたのですが、当時はヘアカラーが流行っていたために手が回らない状態でした。早急なカラーリストの増員と育成を求められている時期に当たってしまい、2ヶ月でカリキュラムを完了させることを言い渡されてしまったんです。

――かなりのハードスケジュールですね。念願のデビュー当時の気持ちは?

デビュー直後は失敗の連続でクレームの嵐に追われ、もう最悪でした(笑)

技術に期待してきているお客様に対して、圧倒的な経験不足が敗因でした。2ヶ月の期間で培った技術力だけでは全く通用しなかったんです。

――思い描いていたスタートダッシュとはいかなかったと?

その頃、カラー剤の成分のジアミンに反応して皮膚が荒れてしまうアレルギーも発症してしまったんです。皮膚科の先生に学会で発表させてほしいと言われたほど重症で、施術中はもちろん一日中ずっと手袋を着用していました。

――カラーリストを辞めることは選択になかったのでしょうか?

手荒れで辞めようなんて全く考えませんでした。お客様からクレームをもらうのも、手にカラー剤がついてしまうのも全部自分が「下手くそ」だからだと思っていました(笑)。

正直、やっぱり悔しかったです。最初は予想外の展開でカラーリストになりましたが、どうせ取り組むなら「一番」を獲りたいと思っていましたし、その気持ちは本物でした

――どのように克服したのですか?

一人の同期のおかげだと思っています

彼は同期の中でも僕とは違うタイプで、口を開けば美容の話ばかり。夢に真っ直ぐ向かっていくような人でした。当時の僕は、トップを獲りたいと思いながらも斜に構える癖があり、彼のことを好きになりきれずにいました。

でも、朝早く練習して、夜も終電まで練習して、休みなく働いて…真っ直ぐな彼の毎日を観察していたら、トップを獲る人ってこういう人間なのかなって妙に納得しちゃったんですよ。それからは彼の行動を真似しようと思い、毎日毎日彼のリズムに合わせる生活を始めました。

真似しながら自分でもなぜ失敗してしまったのか、クレームをもらったか、とことん考えて克服に向けて練習を重ねていったら、だんだんと自分も美容が好きになっていくのを感じたんです。結果的に、その練習量と努力に比例して技術力も向上していきました。

勤めて約3年目には、先輩カラーリストが立て続けに退職したことで事実上、僕がトップカラーリストの立場になっていました。


お話を伺ったのは…
stair:case代表 中村太輔さん

高校時代のケガをきっかけに美容師の道へ進むも、就職先のサロン事情によりカラーリストとしてデビュー。その後の活躍は目まぐるしく、サロンワークのほかセミナーやメディア出演、各コンテストの審査員など多方面でひっぱりだこ。カラーを頼んだら右に出る者はいない、熟練の技とセンスで幅広い年齢層のファンを持つ。

一度は挫折を味わった中村さんでしたが、一人の同期の存在により、飛躍するための手立てを見つけることができました。事実上、トップカラーリストとなった中村さんが取り組んできたこととは? 後編では、その取り組みや独立に至った背景とサロンについて伺います。

取材・文/東菜々(レ・キャトル)
撮影/SHOHEI

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Salon Data

stair:case 銀座店
住所:東京都中央区銀座5丁目5−14 JPR 銀座並木通り ビル 10F
電話:03-6228-5569
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