今も大切にしている「これから一生、担当します!」の心意気【ACQUA表参道店 坂内諒太朗さん】#1
新たな道を切り開くとき、先輩たちはどうやって壁を乗り越えたのかを紹介するこの企画。今回はACQUA表参道店のスタイリスト、坂内諒太朗さんにお話しを伺います。
前編では、数あるサロンの中からACQUAを選んだ理由、売上だけにこだわるのではなく「一生、寄り添えるスタイリスト」を目指していること、カットの試験に落ちて1ヶ月間毎日カットモデルを呼ぶノルマがあったことなど、新人時代のお話を伺います。
お話しを伺ったのは…
ACQUA表参道店
スタイリスト 坂内諒太朗さん
2019年3月にベルエポック美容専門学校原宿校を卒業後、4月にACQUA入社。2022年8月にルーキースタイリストデビューを飾り、2024年4月にはスタイリストに昇格する。現在は表参道店に勤務している。
祖父母の代から美容室を経営。自然と美容の道を目指すように
――坂内さんが美容の道を選んだのはなぜですか?
実家は祖父母の代から美容室を経営していて、美容師という仕事がすごく身近だったんです。両親が笑顔でお客さまに接している姿や、お客さまから感謝されている様子を見て、「人にこんなに喜ばれて、自分も幸せを感じられる職業は美容師しかない」と思っていました。
――ご両親は「美容師になりたい」という夢を聞いて喜んだでしょう?
どうでしょう(笑)。両親は「自分の好きな道で頑張りなさい」と言っていました。中学時代から美容師になりたいと思っていましたが、「美容師という職業だけでなく、幅広い目で仕事を探しなさい」と言ってくれましたが、結局、僕は美容師になりたくて専門学校へ進みました。
――表参道にはサロンがたくさんあります。その中でACQUAを選んだのはなぜですか?
僕は表参道にあるサロンで、歴史があって、しかも技術がしっかりしているサロンで働きたいとずっと思っていました。そのひとつがACQUAだったんです。
就活の前にACQUAへサロン見学をしました。暑い夏の日で、汗だくの状態でサロンに到着したら、まだ学生の僕にすかさず冷たいおしぼりやうちわ、お水を出してくれたんです。「すごいホスピタリティ精神だな」と感動したのを覚えています。
――初めてのサロン見学で緊張しているときに、そのおもてなしは嬉しいですね。
おもてなしだけではなく、技術力の高さも素晴らしかったし、店内のきれいさやシャンプー技術などどれをとっても一流だなと感じました。
カラーをお願いしたんですが、放置している間の気配りも感動しましたね。普通だったら「しみてないですか?」くらいの質問ですが、僕が美容学校の学生だと分かると、みなさん忙しいのに、これからの就活に必要なことなどいろいろ親身になって教えてくれたんです。
――それは嬉しいですね。学生のときから、ACQUAのことはご存知だったんですか?
僕が通っていた学校にACQUAのスタッフが授業を受け持っていた縁もありましたし、両親からACQUAがカリスマ美容師ブームをつくったことを聞いていたので、歴史のあるサロンだと思っていました。
――坂内さんが求めるサロン像にACQUAがぴったりハマったんですね。
僕は「大切な人を呼びたいと思えるサロン」で働きたいと思っていました。ACQUAにはカットが上手な人、カラーが上手な人など、それぞれの技術に特化した人がたくさんいるんです。ハイレベルな技術をまんべんなく学べるのも理想でした。
僕の大切な人たちをACQUAに呼びたいと思って、このサロンに入社を決めたんです。
目標は「稼ぐスタイリスト」から「寄り添うスタイリスト」へ
――ACQUAに入社して、どんな美容師になりたいと思っていましたか?
漠然と「売上のあるカッコいい美容師になりたい」と思っていました。
僕たち新入社員の歓迎会で、2022年に亡くなった前会長の綾小路竹千代から「『今日から一生、担当させていただきます』という気持ちで接客しなさい」と教わったんです。この言葉を聞いて、純粋にすごいなと思いました。それまで、僕は美容師はお客さまの「今」をキレイにする仕事だと思っていたんです。でも、今だけじゃないんですよね。その先もずっとある。スタイリストになる前のアシスタント時代に、このことに気づけて本当に良かったです。
――綾小路さんの言葉で目標が変わったんですね。
はい。お客さまの髪だけではなく心にも寄り添って、一生担当していける美容師になりたい…と僕の目標が決まりました。
そのためには技術も接客も、お客さまにとって1番にならなくちゃいけませんよね。そのために、朝の営業前は自分の練習、夜はモデルさんを呼んで実際にカットやカラーをして、意識して時間を有効に使って練習しました。
――かなり計画的に練習をしていたんですね。
確実に上手になれるように逆算して、練習の計画を組んだんです。ブローからスタイリングの仕上げまで、毎朝スタイリストにチェックしてもらいました。本当は計画を立てて実行するのがすごく苦手なんですけど、先輩が支えてくれました。「やり続ければ絶対にうまくなる。俺ももともと不器用だったから。時間だけはみんな平等にある」って励ましてくれました。
――先輩にも恵まれたんですね。
ひとつ上の小川大輝と一緒に、スタイリストデビューという大きな目標を叶えるために、練習の計画表を作ったおかげですね。小さな目標を月ごとに立てて、少しずつ自信を持ってお客さまに技術を提供できるようになりました。
――アシスタントのとき、辛いことはありましたか?
売上トップのスタイリストのアシスタントについたときは、自分の技術力のなさに落ち込みました。接客も技術も、自分なりに「これで大丈夫だろう」と思っていましたが、そのスタイリストが求めるレベルではなかったんですね。今から思えば、お客さま目線に立てていなかったと思います。
――努力が認められないのは辛いですね。
もうひとつあります。僕は同期の中でいちばん最初にスタイリストデビューをしたい、とずっと思っていました。でも先を超されてしまったんです。同期がデビューしたのは嬉しいし、心から「おめでとう!」という気持ちなんですが、同時に自分の中の劣等感に押しつぶされそうでした。同期がスタイリストとして仕事をしている同じフロアで、自分はまだアシスタントをしている…正直、心が折れそうでした。
最後のカット試験に落第。1ヶ月間の連続モデルカットがノルマに!
――落ち込んだときは、どうやって気持ちを上げたんですか?
モデルハントをしてカットやカラーをやらせてもらうんですが、そのとき「坂内さんがスタイリストになったら、ACQUAに来たいです」って言ってもらうと「頑張ろう!」って思えました。地元の友人たちも「カットできるようになったら、切りに来るから」って言ってくれたり、家族も僕がここで働くことを楽しみにしていたり。みんなの気持ちに応えるには、頑張るしかないと思いました。
それに不器用な自分が上手くなるまで向き合ってくださった先輩や支えてくれた同期や後輩のことを考えると、頑張るしかないというか。みなさんに恩返しするには、自分がカッコよくて愛されるスタイリストになることだと思っていました。
――スタイリストデビューが遅れたのはなぜですか?
最後のモデルのカットで合格できませんでした。接客面はすごく褒めてもらえたんですけれど、技術面で足りない部分があったんですね。総店長の熊谷安史から「このままデビューしてもいいけれど、坂内だったらもっとできるだろう?」って言われてしまったんです。
――それで、どうしたんですか?
熊谷から「来月の再チェックの日まで、毎日1人カットモデルを呼ぶこと」というノルマを与えられました。そのときは、正直「これで終わった」と思いました(笑)。
――毎日1人ですか!
それから毎日、渋谷でモデルハントの日々です。次の日のモデルが見つかるまで、帰れませんでした。
――よく続けられましたね。
熊谷から「坂内だから越えられると思ってこの課題を与えている」って言われたんです。ACQUAには売れているスタイリストがたくさんいます。熊谷は、彼らをビルに、デビュー前の僕を地面に例えたんです。「おまえはビルに届きたいんだろう? それならやることは明確だよね」って言われたとき、僕の心に火が付いて、「やってやる!」という気持ちになりました。
――本当によく頑張りましたね。
お陰でカットの再チェックも、スタイリスト試験も一発で合格することができました。
今から思えば、これをきっかけに試練や失敗に負けたくないハングリー精神を手に入れたのかもしれません。
「一生、寄り添うスタイリスト」になるために、接客力と技術力を磨いた坂内さん。最終試験をパスするために過酷なノルマもクリアしました。
後編では、スタイリストとして売上を作るためにモデルハントをし続けたこと、SNSを活用して新しいスタイルを提案していることなどを教えていただきます。
撮影/森 浩司