沖縄美容界リポートサロンの底ヂカラ「ハサミのちからOKINAWA」#1
美容師が持つ“ハサミの力”を信じて興った一連の活動『ハサミのチカラ』。もともとは京都のヘアサロンBond.Stの代表、西田斉(ひとし)氏が行っていたイベントが発端ですが、横のつながりで他の美容師へと広がり、今ではさまざまな活動が展開されています。
その一つ『ハサミのちからOKINAWA』は、2015年に沖縄県那覇市で第一回目のヘアショーを開催。2016年には沖縄国立劇場で行うまでに発展。
さらにメンバーは今、2017年の開催に向けて、さらなる高みを目指して奮闘しています。「すべては沖縄の美容業界のために」。そのアツイ美容魂を取材しました。
燻り続けていた「沖縄」の底ヂカラ
沖縄出身のミュージシャンや俳優はたくさんいても、全国にその名を轟かせるまでのサロンや美容師はまだ少ない……。今から数年前、京都・Bond.St代表の西田さんは、そんなジレンマともいうべき思いを内に秘めた、沖縄在住の美容師たちと交流を持ちます。
「もともとハサミのチカラは、もっとカットでデザインするよろこびみたいなものを呼び覚まそうと関西を中心に始めたのですが、当時集まった沖縄在住の美容師は皆、県内外でデザインのことをめちゃくちゃ勉強してきたアツイ人ばかりで、それなら沖縄でもぜひ、その力を結集したステージをやろう!と、意気投合したんです」(西田さん)
当時、西田さんに面会した一人で『ハサミのちからOKINAWA』の主要メンバーの一人、THREE BEE hair lounge代表の玉城匠(たまき・たくみ)さんは当時を振り返ります。
「最初は2015年、松山という繁華街のホールを借りて、8サロンで始めました。協賛スポンサーを募り、サロンを越えてチームをつくって、ステージ上で今、自分たちにできるカットはこれだ、と。本土から西田さんの紹介でairの木村直人さんと、かぁこさん、SORAのキタハラヨシノリさんを招聘して、地元の美容学生や一般のお客さんが見守る中、ショーをやりました。たくさんの方の尽力でステージは無事終了。反省点は多々ありましたが、何より沖縄から発信できたことがうれしかったです」(玉城さん)まさに燻っていた沖縄の美容魂に火がついた瞬間でした。
続けていくからこそ「歴史」になる
―2015年の1回では、終わらなかったわけですよね?
「はい。またやりたい、このままでは終われない、成長したって思われたい!と(笑)僕自身、まだ伝えきれていない部分もありましたし、他のメンバーも同じだったと思います。これまでも沖縄でヘアショーは行われていて、MIM de HOME(ミム・デ・オム)のOMUさん(※OKINAWAサロンリポート#1 参照https://relax-job.com/more/37665 )が単独サロンでのヘアショー動員を1500人規模で成功させていましたが、僕たちハサミのちからOKINAWAも続けたい!と。1回ならパフォーマンスでしかないけど、続けていけばきっと歴史になる、と思ったんです。次はもっとデッカイ箱でやろうと、仲間を募ったら参加サロンが倍近くに増えて15サロンになりました。
役割分担を決め、資金の積み立てをしたり、協賛メーカーは美容関連だけでなく、一般企業にまで広げるなど、まさに沖縄独特の“ゆいま~る”(沖縄の方言で助け合うこと)の精神で一年をかけて取り組みました」(玉城さん)
すべては沖縄の美容界の未来のために
「舞台構成もプロのダンサーによるダンスを交えて、カットを魅せる3部構成にするなど、工夫しました。その道のプロにアドバイスこそ仰ぎましたが、何もかも沖縄のメンバー全員でやりたい、と打ち合わせを重ねました。BondSt.の西田さんにも今回は完全ゲストとして参加していただき、本土から招いたゲストも僕の元同僚のOtope代表の浦さやかさんや、FAVORITE GARDENの齋藤隆志さん、gricoのエザキヨシタカさんという、今をときめく著名な方に参加していただくことができました。準備も当日も大変でしたが、すべての参加サロンが舞台裏を体験することで、“全員教育”になると踏んだんです。闘う相手は同じサロンや同じ地域の他サロンではなく、自分自身だと。沖縄を出て、本土のサロンで働くことだけが成功の法則ではなく、今自分がいるところでできることだってある、と若い人たちに伝わって始めて、この取り組みは成功したといえると思います」(玉城さん)
沖縄の美容業界の未来のために取り組む『ハサミのちからOKINAWA』の活動。今後も引き続き、リポートします。
取材・文/山岸敦子
撮影/MAKOTY
沖縄美容界リポート☆2017年 新たなる発進「ハサミのちからOKINAWA」#2>>